3 冷たい家族
【星導歴129年 エルネスト公爵家】
朝、陽の光がやわらかく差し込む中、レティーナは目を覚ました。
家中の空気がどこか浮き立っていた。
廊下には白い布が掛けられた籠がいくつも並べられ、台所では料理人たちが忙しなく動いている。
「今日はピクニック日和ですね、奥様」
「ええ。あの子たちもきっと喜ぶわ」
使用人の言葉に、母が微笑んでうなずく。
“あの子たち”という言葉のなかに、自分の名前が含まれていないことを、レティーナはなんとなく感じ取っていた。
「私も……一緒に行って、いい?」
恐る恐る訊いた声は、けれど重い空気の中に消えていった。
母は、レティーナを一瞥しただけだった。
「あの、私も……行っていい?」
勇気を出してもう一度聞いてみると、母は怖い目をして身体ごと振り向いた。
「……なにを言っているの?」
その声には、明らかな苛立ちが混じっている。
「……偽物の星印があるあなたを、連れていくわけにはいかないでしょう。恥ずかしいから」
レティーナは、黙ったまま立ち尽くす。
(……お父様にも、お母様にも、レオンにも、リゼにも、星印はないじゃない)
なぜ自分だけが、ここまで拒絶されるのか。
なぜ、欠けた星印だとしても星印を持つ自分が、星印を持たない家族よりも劣って扱われるのか。
誰もその理由を教えてくれなかった。
父は、会えば「お前は公爵家の恥さらしだ」としか言わず、それ以外は目も合わせてくれない。
母は、いつも自分をいないものとして扱う。
弟レオンは、微笑むだけで、何も言ってはくれない。
妹リゼは、母と一緒に笑うだけ。
いつもレティーナだけが、そこにいなかった。
「では、行ってきますね。お留守番、お願いね」
母の声に、無意識に小さくうなずいてしまった自分が、なんだか情けなかった。
去っていく馬車の音が遠ざかるたびに、胸のなかの悲しさが広がっていく。
(私は、どうして生まれてきたんだろう)
本来、星印を持つということは、誇らしいことであるはずなのに。
誰も、そうは思っていなかった。
「きっと、私が黙っていれば、誰にも迷惑をかけずにすむんだわ」
そう決めた小さな少女の決意を、大人たちは誰ひとりとして気づかない。
◇
レオンの8歳の誕生日には、庭園いっぱいに花が飾られた。
音楽隊が呼ばれ、招かれた貴族の子女たちが笑い合い、長いテーブルにはご馳走が並んだ。
金の葉で飾られたケーキに、レオンは目を輝かせていた。
「うちの子は将来、騎士になりたいって言ってますのよ」
「まあ、なんて立派なんでしょう!」
来賓の貴族たちはこぞって父母に媚を売り、そしてレティーナの手元を見て、そっと視線を逸らした。
リゼの誕生日は、その半年前だった。
まだ6歳になったばかりの妹のために、母が自ら髪にリボンを選び、父が抱っこをして食事室に連れていった。
「リゼは可愛いから、きっと良縁に恵まれるだろう」
「公爵家の娘らしい綺麗な肌をして、うらやましいくらいね」
妹は得意げに笑っていた。
――それなのに。
今日、レティーナが11歳を迎えたこの日。
食堂の空気は、いつも通りだった。
ケーキも、花も、音楽もない。
いつもと同じ料理が並び、父は新聞をめくり、母は部屋の温度に文句をつけていた。
弟と妹は、誰からも促されることなく席につき、食事を始める。
誰一人、今日がレティーナの誕生日であることを口にしなかった。
今まで一度も祝われていなかったから慣れっこだった。
でも、今年こそ、ちゃんと聞いてみたかった。
「……あの」
レティーナは勇気を振り絞って言った。
「今日は、私、聞いてみたいことがあるの……」
「レティーナ、静かにしなさい。食事中でしょう?」
母の声は冷たく、そして心底うんざりしていた。
父は新聞をぱさりと閉じた。
「食事の席で、そんな不吉な星印を見せるな。手袋をしろと、いつも言っているだろう」
言葉が喉に引っかかった。
レティーナは手を引き、指の先でテーブルクロスの端をつまんだ。
レオンも、リゼも、何も言わなかった。
目を合わせてもくれなかった。
――弟にも、妹にも、星印はない。
けれど、彼らは愛されていた。
なのに、自分には“欠けた星印”があるというだけで、誕生日すらなかったことにされる。
自分を除く家族全員、欠けた星印すらないではないか。
欠けた星印があるくらいなら、まったくない方が上だということなのだろうか。
今日は、それを両親に聞いてみたかった。
わからない。
どうして、自分だけが、こんなにもいらない子のように扱われるのだろう。
どうして、父も母も、自分を見るたびに怒りを現すのだろう。
“私は、ただ生まれてきただけなのに。”
レティーナは黙って席を立ち、誰にも気づかれぬように部屋を後にした。
自分がいなくなったとたん聞こえてきた家族の笑い声が、ひどく冷たく聞こえた。