22 代役を拒絶するレティーナ
アニエスが担ぎ出された後、儀式会場には不穏な沈黙が流れていた。
誰もが息を呑み、次に何が起こるかを待っている。
その沈黙を破ったのは、国王の低く冷たい声だった。
「……レティーナ。お前だ。お前が儀式を執り行え」
その一言で、貴族たちがざわめきだす。
「やはり、あの娘だったのか……」
「偽物のはずが……本物だったとは……」
王妃が顔をしかめながらも言葉を続ける。
「レティーナ、あなたがこの国を救うのよ。今こそ、聖女としての力を……」
だが、レティーナは一歩も動かず、ただ黙って皆を見回した。
そして――
「前にも申し上げました。お断りします」
低い、きっぱりとした声だった。
「なぜ、この国で虐げられていた、この私が、命懸けでこの国を救わなきゃいけないのですか?」
その声が、広間の空気を切り裂いた。
「私には、今まで一度も目を向けなかったくせに。……何が『国のため』なんですか? どうして、私があなたたちのために命を懸けなければならないのですか? 大好きなアニエス様と心中すればいいじゃないですか」
広場がしんと静まり返った。
「誰一人、私を人間扱いなんてしなかった。誰もが私を無視していたじゃない。それでも、必死に耐えてきた。
どうして、そんな私があなたたちを、自分の命を犠牲にしてまで救わなきゃならないのですか?」
その目に、涙はなかった。ただ、怒りと深い絶望があった。
「私は、“偽物”だって、いつもいつも言われてきました」
息を吐いて、冷たく言い放つ。
「あなたたちを救う義理なんて、どこにもないわ! ちょっと虫が良すぎるんじゃない?」
王妃が顔を引きつらせる。
「……レティーナ、国の未来がかかっているのよ?」
「国? 国って、私を虐げていた人たちが住むこの国のことですか?
今更、私にその国の未来を守れって言われるのですか?」
宰相が必死に取り繕うように口を挟む。
「だが、君は女神の星印を持っている。君にしかできないんだ」
「そう思うなら、なぜ、私を少しは人間として扱わなかったのですか? 私が聖女である可能性は0ではないと、あなたたちが言っていたのに。
私はどこに行っても席を用意されていなかった。ここに来るのだって、引きずられるように乱暴に連れてこられたわ。あなたたちには私を尊重する意思なんてこれっぽちもないじゃないですか」
広間は完全に沈黙に包まれた。
誰一人、なにも言えなかった。
レティーナの声の余韻だけが、辺りに広がっていた。
広場の奥から、慌ただしく走り寄ってきた神官たちが、青ざめた顔で叫んだ。
「夜が明けてから少し時間が過ぎました。空の星が赤くなっています! この様子では、まもなく、災厄がこの地に降り注ぎます!」
「まさか!……女神の神託通り、炎の矢は本当に降ってくるのか!?」
国王が顔を引きつらせた。隣で王妃が手の平で口を押さえた。
「どうなるんだ……? この国は……!」
「我々も、子どもたちも……みんな死ぬのか……?」
恐怖に満ちた貴族たちの叫びが交錯し、場は混乱に包まれていく。
王妃が顔を引きつらせながら、もう一度レティーナに縋るように言った。
「お願い……レティーナ……このままでは、国が滅びてしまう……」
その時、国王が声を張り上げた。
「レティーナ! お前は罪もない国民を皆殺しにしてもいいと考えているのか!?」
その非難めいた声に、レティーナは静かに笑った。まるで凍てつく風のような、冷たい微笑だった。
「国民を救う役目は、本来あなたたちのものでしょう? その責任を、私に押しつけないでください」
広場の誰もが、息を呑んだ。
国王の顔が歪む。怒りか、動揺か、それとも恐怖か。
レティーナはゆっくりと国王に近づき、その瞳を見据えた。
「ねえ、陛下。みんなで一緒に死にましょうよ」
「い、一緒に死ぬ?」
「どちらにしても、私は命がないんですもの。でも、一人で死ぬのは嫌なんです。いつも一人だった私です。せめて最後くらい皆を道連れにしたいんです」
凍りついたような静寂。
国王が口をパクパクさせた。王妃がひっと息を吞み、宰相は座り込んだ。誰もが言葉を失っていた。
人々は沈黙し、迫りくる厄災に恐怖し、震え出した。
やがて一人、また一人と耐えかねたように意識を失っていった。
気が付けば、国王も、王妃も、公爵夫妻も、子爵夫妻も、
神官長も、神官たちも、王宮の使用人たちも、
彼女を馬鹿にしたすべての人が、
その場で意識を失っていた。