15 したいことリスト☆誕生日に「おめでとう」と言ってもらう☆愛称で呼ばれる
楽しいひとときを終え、ルシアンは立ち上がった。
「君と過ごせて楽しかった」
「殿下。こちらこそ交流していただき、ありがとうございました」
レティーナが、控えめに礼をする。どこか少し寂しげな微笑みが浮かんでいる。
彼は開かれた扉の前で動かず、少しだけ振り向いた。
「レティーナ」
名前を呼ぶその声は、優しさを含んでいる。
「はい?」
レティーナは少し驚いたように彼を見上げる。
「今日が、君の……誕生日だということを、忘れてはいない」
彼の声は、普段の冷徹なものとは違って、躊躇しているように響いた。レティーナの目が瞬きを繰り返し、彼の言葉を待つ。
「君のしたいことの1つに “誕生日におめでとうと言ってもらう”というのがあったな。それをさっそく実行してみたい。あとで、花束を持って君の部屋を訪ねていこう。新しく用意された部屋で待っていてくれ」
彼は小さく笑みを浮かべ、少しの間をおいてから言葉を続けた。
「君があまりに我慢強いから、誰も君が誕生日にこんなに寂しい思いをしているのだと、気づいていなかったのだろうな」
少しの間、レティーナの瞳は揺れていたが、すぐに表情を戻した。
「ありがとうございます、殿下。でも、私は……」
ルシアンがすっと手を上げ、彼女の言葉を遮る。
「誕生日おめでとう、レティーナ。後でまた会おう」
その言葉に、レティーナは驚いたように目を見開いた。
ルシアンは開かれた扉の先に進む。
今度は歩みを止めることは、なかった。
◇
ルシアンと別れた後、レティーナは新しい部屋の窓辺に座っていた。
「本当に来てくれるのかしら……」
誰に言うでもない呟きが、静かな空気に溶けていった。
新しく用意された部屋は、豪華ではあるが豪華すぎず、広い部屋だが広すぎず、品の良い調度が美しく配置され、彼女にとっては夢のように居心地の良い空間だった。
窓の外を見ながら、物思いに耽っていたら、扉を叩く音が聞こえた。
どこか力強いその音に、レティーナは小さく息をのむ。
「……どうぞ」
扉が静かに開き、そこに立っていたのは、予告どおりのルシアンだった。
手には大きな花束と、小さな籠を携えて。
金色の髪に青い瞳のその人は、絵本で見る憧れの王子様そのものだった。
「来てくれて……ありがとうございます」
レティーナの声は、少し緊張していた。
ルシアンは微笑みながら、花束を差し出す。
「お誕生日、おめでとう。レティーナ。生まれてきてくれてありがとう」
初めて言われた言葉が、胸の奥深くにまで響いた。
レティーナは両手で花を受け取った。
甘い花の香りと花束の重量感に、思わず涙がこぼれそうになる。
「……ありがとうございます、殿下」
「ルシアンでいい。さあ、君のための誕生日を一緒に祝おう」
ルシアンはケーキをテーブルに置くと、蝋燭を立て、火を灯した。
「願い事は?」
「素敵な誕生日会になりますように」
ふたりは並んで座り、レティーナはろうそくの火を吹き消した。
丸いケーキを半分に切り分けた。
その甘さは、レティーナにとって、人生で初めて味わう“幸福”の味だった。
「レティ」
「……!」
「レティ。このリストの最後、愛称で呼ばれてみたい。これは今叶ったぞ。これも消せるな」
レティーナの頬に、僅かな赤みが差した。
「では、ルシアン様。ルシアン様も今夜は愛称で呼ばせてください。ルーって」
「今夜だけじゃなくていい。君が呼びたいなら、いつでも」
「ありがとうございます、ルー」
「それでいい。だが、これは想像以上に照れるな」
ルシアンの頬にも赤みが差した。二人は顔を見合わせて笑った。
――この日は、後に彼女が振り返るとき、「幸せの始まり」として、静かに心に灯り続けることになる。
◇
その頃神殿では、聖女偽物説がひっそりとささやかれ始めていた。
「アニエス様は女神がお作りになった“ダミーの聖女”かもしれない。本物はレティーナ嬢では?」
「女神は、本物を見抜ける目がある者とない者とを、選別されているのかもしれないぞ」
神官たちは怯えたように互いの顔を見合わせた。
少数の神学者や歴史学者たちの中からも、新たな意見が出始めた。
「試練を乗り越えた者こそ、真の聖女に選ばれるのではないだろうか? 歴代聖者たちは、全員逆境を乗り越えたではないか」
といった意見だった。




