13 ルシアンの訪問
数人の貴族と話をした後、ルシアンは謁見の間から退出した。いつものように護衛に囲まれ、無言で廊下を歩いていた。
長い回廊を歩いていると、一際明るく照らされた部屋があった。大きな箱を抱えた使用人たちが扉を開いた瞬間、中から明るい笑い声が漏れ聞こえてきた。
「王妃様から、お誕生日のお祝いに、新作のドレスが届いています」
「まあ、素敵ね! 折角だから、今からこのドレスに着替えようかな。皆さん、待っててくださるかしら?」
「そりゃあ、今日はアニエス様が主役ですから」
気にも留めず通り過ぎようとしたその瞬間、ルシアンの足が止まる。
アニエス嬢の誕生日パーティーが開かれているのか?
「同じ日だというのに……レティーナ嬢の誕生日は祝われていないのか? 母上は彼女にもプレゼントを届けているのだろうか」
静かに呟いたその声は、自分でも驚くほど冷えていた。
王妃に会いに、部屋に向かった。
途中の廊下で出会った王妃は、「レティーナへの誕生日プレゼントですって? それは……」
バツが悪そうに口ごもった。贈ってないんだとすぐにわかった。
レティーナは言っていた。“自分が生まれてきたことが、本当におめでたいことなのかわからない”と。あの時の悲しい瞳を、彼は鮮明に思い出す。
祝福の声をかけられることがなかったのか。贈り物も、祝いのケーキも、何一つ。
「……まさか、こんなことになっていたとは」
祝われる者と、無視される者。
同じ誕生日。なのに、あまりに違いすぎる。
ルシアンの中で、アニエスとレティーナの扱われ方の“差”が、はっきりと輪郭を帯びて浮かび上がってきた。
それは、もはや疑問ではなく、怒りとして彼の中に存在していた。
自分の知らないところで、彼女がずっとこうして生きてきたのだとしたら。
先ほど見た、彼女の怒りも当然だと思えた。
その事実に、心の奥底から噴き上がるものがあった。
「……彼女にとって、今日を楽しい誕生日にしてやらなければ」
迷いのない足取りで、彼は進路を変えた。
◇
レティーナの部屋を訪ねたルシアンは、呆気にとられて部屋の入口付近で立ち止まった。
「君は今まで、こんな粗末な部屋に住まわされていたのか。王宮には豪華な空部屋がいくらでもあるというのに、なぜわざわざこんな部屋を当てがわれていたのか? そこの君、なぜ、苦情をいわない?」
ルシアンは、信じられないという風に侍女を見た。彼女は顔色を悪くして目線を下げた。
「私は侍女長の指示通りにしているだけです。その理由は私にはわかりかねます。苦情は……レティーナ様が受け入れていましたから……私からは……」
そんな光景を見ながらレティーナは皮肉な笑みを浮かべた。
「いちいち苦情を言っていたら、切りがないほどの待遇なんです。もう、諦めていました。
ねえ、おかしいと思いませんか、殿下。私は公爵家の令嬢なんですよ。普通なら、公爵家の令嬢にこんな粗末な部屋をあてがうなんて失礼なことはしませんよね。少なくても、私の妹や弟なら、こんな扱いは許されません。
でも、私はこの欠けた星印があるばかりに、それが許されるんですよ。
結局、「なし」と「不完全なものがある」では、「なし」の方が上なんです」
「なるほどな」と、半ば呆れて、再び侍女に顔を向けた。
「レティーナの部屋をもっといい部屋に替えるように侍女長に言え。なぜ、こんな部屋をレティーナにあてがったのか、後で僕の部屋に説明にくるように伝えろ。納得できる理由がなければ関係者全員に罰を与える」
侍女は飛び上がるようにして、部屋から出ていった。それを眺めてレティーナは口を開いた。
「それで、殿下はなぜ私に会いにこられたのですか?」
レティーナが問いかけると、ルシアンは迷いながら答えた。
「まずは、もっとましな部屋に移動しよう」
ルシアンはレティーナの手を取ると、無言で部屋の外へと導いた。
◇
連れて行かれたのは、彼女がたまにアニエスに呼ばれてお茶をしていた、控えめながらも品のある食事室だった。
ルシアンは椅子に腰かけると、控えていたメイドにお茶を持ってくるよう指示を出した。
「君と交流しようと思って来た」
思いがけない言葉に、レティーナは眉をひそめた。
「は? 今更ですか?」
「二人の聖女候補がいて、どちらが婚約者になるかわからないうちに、一方と親しくするのは不誠実だと思わないか?」
「まあ、それは……そうですけど。……殿下はアニエス様とも交流を持たれていないのですか?」
「すれ違ったら挨拶するくらいだ。二人と公平に接していたつもりだが、君の話を聞いていると、他の者は、ずいぶん差をつけているようだな。
星印の違いで多少は仕方ないと思っていたが、さすがにやりすぎだ。私が君を甘やかしたら、少しは公平になるんじゃないかと思ったのだが、もう遅いかな」
「遅すぎますよ、星印の聖女はアニエス様で決まりでしょうから、彼女と交流を持てばいいじゃないですか」
レティーナが面倒くさそうに言ったので、ルシアンは話を聞いてもらうため、真っすぐに彼女を見据えた。
「彼女は星印の聖女じゃないだろう。さきほど謁見の間で本人の様子を見て、それは確信に変わった。彼女には、真摯さや誠意というものが感じられない。だから、彼女の言葉には力がない。彼女の祈りは、女神に届かない」
レティーナは息を呑み、思わず言葉を失った。
ちょうどそのとき、香り高いお茶が目の前に運ばれてきた。ふわりと広がる香気が、緊張をやわらげる。
動揺した手でカップを取りながら、レティーナは口を開いた。
「そういうものは……私にもありませんよ? 謁見の間で、私が怒りをぶちまけたのをご覧になったでしょう?」
「ああ、すごい迫力だったな。でも、あの告白は真摯なもので、嘘がなかった。女神が受け取るのは、放たれた矢のようにまっすぐに向かってくる祈りだ。君にあって、アニエス嬢にないものだ」
「でも……アニエス様には完全な星印があるじゃないですか。私には、それがない」
ルシアンは、少し考え込むように遠くを見つめた。
「完全な星印とはどんな形なのだろうな。誰も見たことがないし、どの文献にも載っていない。アニエス嬢のあれが完全な星印だと、誰が決めたのだ? ひょっとすると、角が欠けた君の星印の方が完全な形かもしれないぞ?」
「さすがにそれはないと思います。先ほどアニエス様が力を出せなかったのは、単なる偶然だと思いますよ?」
やや呆れたように、レティーナは言った。その顔を見てルシアンは笑いだした。
「冗談だ。だけど、それについては、推測していることがある。少し僕の考えを聞いてくれ」
笑いを引っ込め、ルシアンは真顔になった。
「アニエス嬢は、“全か、無か”で判断する心を持っている。全でなければ無、という思考だ。
彼女は、君の欠けた星印は認めないだろう? 更に言えば、君の星印を見下してすらいる。完全じゃない星印は彼女にとって“無”と同じなんだ。
その傲慢さを女神は嫌い、アニエス嬢の“全”なる星印の力を“無”に変えたんじゃないかな。アニエス嬢の中では“全”じゃなければ“無”しかない。女神は彼女の思考通りにしたのだろう」
「与えたものを後で奪うなんて……そんな残酷なことを、女神様がされますか?」
「では、儀式をすれば死ぬ可能性がある“星印の聖女”の存在は残酷ではないと言えるのか? 星印の聖女は女神が創った存在だ。だが、その運命は決して優しいものじゃない」
ルシアンの真っ直ぐな視線に、レティーナはたじろいだ。
「……それは、なんとも言えません。けれど、もしアニエス様の力が“無”になっているなら……逆に彼女は儀式をしても死にませんね」
「そうだ、死なない。力がなければ、影響を受けることがない。
だが、君は――完全な力ではないが、多少の力を持っているんじゃないかと僕は思っている。完全な力を100としたら、君の力は80か90くらいだろうか。――儀式をすれば、その力を使い果たして、命を落とす可能性はある」
ルシアンは、少し考えた後、言葉を続けた。
「それなら、せめて王宮に上がってから儀式までの時間だけでも、アニエス嬢のように大切にされていれば少しは救いがあるのだがな。僕が言える立場ではないが」
「それは、そう思います。だから私は、アニエス様が儀式を失敗しても、私は国のために力は使いません。それは決めています。たとえ、私に80の力があってもです」
レティーナは一切の戸惑いなく言い切った。しばし沈黙が降りた。