1 プロローグ 燃える王都
聖女が台座から崩れ落ちた。
厄災除けの儀式を見詰めていた人々は、驚愕のあまり意識が遠のいた。
それが合図のように、王都が、火に染まった。
夜空に輝く星々が、ひとつ、またひとつと赤く染まり、やがて炎の矢となって空から降り注ぐ。
塔は崩れ、屋根は焼け落ち、石畳を走る人々の悲鳴は、倒壊する建物の音にかき消された。
兵たちは次々と倒れ、逃げ惑う民を守ることさえできず、
貴族たちは女神の像を握りしめ、震える声で許しを乞う。
それでも、炎は止まらなかった。
もう誰にも止められなかった。
結局、王家も神殿も、女神から授けられた神託を生かすことはできなかったのだ。
この国に聖女候補は2人いた。
完全な星印を手の甲に持つ、グラム子爵令嬢アニエス。
不完全な星印を手の甲に持つ、エルネスト公爵令嬢レティーナ。
人々はアニエスを聖女として敬い心酔し、唯一の聖女として持て囃した。
一方、人々はレティーナを「偽物聖女」と呼び、
その命を、ただの“スペア”としてしか扱わなかった。
「不完全な星印しか持たぬお前は、聖女ではない。本来、王宮に住む資格などないのだ」国王は言う。
「公爵家に恥をかかせないで。偽物の聖女など嘆かわしい」母は言った。
「本来、お前は、スペアにすらなれない存在のだ。不完全な星印などに価値はないのだからな」神官長は言った。
そんな言葉を浴びせるばかりで、
彼女の傷ついた心に手を伸ばそうとした人間はいなかった。ただ一人、繁栄の印を持つ王太子を除いて。
王も、王妃も。
父も、母も。
弟も、妹も。
神官長も、絵画教師も。
王宮使用人たちも。
みんな彼女を虐げた。
そして、厄災の日
――完全なる聖女は儀式を失敗した。
――スペアの聖女は、儀式を拒絶した。
今、国は焼け落ち、すべてが終わろうとしている。
炎の中で、王冠が瓦礫の下へ転がる。
それを見つめる愚か者たちの瞳に、ようやく――遅すぎる後悔が滲む。
不完全な星印を持つ娘を、虐げなければよかった。
彼らはまだ気づいていない。
これが“悪夢”であることを。
自分の心を変えない限り、救われることはない、ということを。