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みんなの視線が俺に突き刺さった。俺は居心地悪さに机の上、ヒーローチェスのセットへと目を落とした。確かにひどい盤面だ。双方のヒーローのほとんど全部が無様に負傷し、バラバラになった陣形の中で、のたうち回った大将がミスとミスが生み出したほとんど偶然のような形で討ち取られている。
ちらりとハングラの顔を見る。ひどく腹を立てた顔をしている。サルワの顔もうかがう。こちらも不服そうな顔。気持ちはわかる。
俺は幼い日のことを思い出す。ミイヤと始めてヒーローチェスをやった日のこと。やっぱりぐだぐだの戦いだった。あれは結局俺が勝ったのだったか。でも、勝利の喜びは通りすがった近所の年上のお兄さんに、鼻で笑われたことで台無しになった。俺とミイヤの一生懸命の戦いまで馬鹿にされた気がした。
サルワとハングラの不機嫌な顔は、あの日の俺と同じだった。
ジジクが俺を見る。サルワとハングラの不機嫌さなんてまるで気にしていない表情だ。放っておいたらまた余計な――サルワたちの神経を逆なでするようなことを言い出す気がして、俺は慌てて口を開いた。
「そうだな。せっかくだし、ジジク。一局、指してみようか」
「おお! いいですね」
ジジクはパンと手を打ち合わせた。俺を見たままにこりと笑う。落ち着かない気持ちにさせる頬笑みだ。俺は仏頂面を保って頷く。サルワとハングラに目線を送り、動きを押さえる。
「局地戦の殲滅戦でいいか?」
「ええ、地形のお好みは?」
「遊園地で」
「いい陣地です」
俺たちの話を聞いて、ギャラリーたちが動き出す。サルワとハングラはたどたどしい手つきで駒に貼り付けていた負傷シールを剥がし始めた。ヤカイは抜け目なく会話に出てきた陣地盤を取りに壁際の棚へと走り、カシュウは丁寧な手つきでボールドーナツの包みをサイドテーブルに移して、スペースを開けた。
ほどなくしてサルワとハングラがヒーローの駒を収め終わった。俺とジジクは二世っと並んだ駒棚の前に並び、同時に局地戦用のケースを手に取った。
「では、ヒーロー隊構築と行きましょうか」
「ああ、三分でいいだろ? ロクオ、計ってくれるか」
「わかった」
ロクオが頷き、壁に掛けられた時計を睨んだ。
「では、五秒後から構築開始で……四、三、二、一、スタート」
ロクオの声とともに俺たちは自分の駒棚に手を伸ばした。
俺は素早く駒棚に手を伸ばしながら構築を考える。ジジクはどんな隊を構成してくるだろうか。わからない。駒棚の間には目隠しが取り付けられていて、ジジクがどんなヒーローをピックしているかは見えない。ただカチャカチャと手際よく駒を拾う音だけが聞こえる。だが、それは向こうも同じだ。打ち筋を知っている相手ならば、それに対抗しやすい構築もできるが、今回はそうもいかない。ジジクの打ち筋なんて想像もできない。しかたがない。俺は万能型の隊の編成を思い起こしながら、駒を拾い上げた。
「ねえ」
背後から声を掛けられた。ナリナだった。俺は振り向かずに答える。
「どうした」
「なにやってんの」
「ヒーローチェスだよ」
「なんで」
「なんでって、そりゃあ」
駒を拾いかけた指が止まる。ナリナの問いには俺も答えられなかった。
なぜ、俺はジジクにヒーローチェスを挑んだんだろう? 明確な答えはなかった。でも、ジジクの馬鹿にしたような笑いを放っておくことができなかった。
それをナリナに説明できる気はしなかった。俺は駒を拾いケースに入れた。
それよりも、と誤魔化すように口を開いた。下の方の駒を取るふりをして、しゃがみ、できるだけ声を潜める。
「俺がやっている間に、みんなの様子を見ていてくれないか?」
「なんで?」
ナリナが腰をかがめて首を傾げた。眼鏡越しに怪訝な視線を感じる。
「もしも、擬態型がいるなら、おかしな反応をするかもしれない」
ナリナの目がすっと細くなるのを感じた。ヒーローチェスはしばしば人の本性を暴く。観戦している者も、対戦している者も。
「任せたぞ」
「わかった」
ナリナが頷く。俺は立ち上がり、大ゴマを一つ取り上げた。
「そこまで」
ロクオの声が聞こえた。
「よい構築ができましたかな?」
ジジクが大きく首をかしげながら言った。
「まあ、十分だよ」
俺は笑い顔を作りながら答えた。
「それでは一局、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
俺とジジクは同時に頭を下げると、椅子に座った。
【つづく】




