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「なにかあったのか?」
コチテが隣に腰掛け、小声で尋ねてきた。とても心配そうな顔をしている。俺は首を振る。こんなところで極秘の任務の話をするわけにはいかない。いや、そもそも……。
「どうした?」
コチテが首をかしげる。
なんでもない、と俺は目をそらした。言えるわけがない。横目でコチテの様子をうかがう。訓練校に来る前からよく見知っている整った顔だ。ヒーローになれれば人気も出るだろう。なにも変わってはいない。よく知った顔だ。
だが、それはなんの安心材料にもならない。
擬態型のギルマニア星人の技術は発展し続けている。俺は、座学で教わったことを頭に思い浮かべる。
初期の擬態型はそれほど性能の良いものではなかった。最初は戦場で死んだ人間の死骸の中に強引にもぐりこんだものだった。辛うじて刃腕や副腕、それにギルマニア星人に特有の大天眼などのシルエットを隠しただけのおぞましい化け物だ。もちろんそんなおぞましいものに騙される間抜けはそれほどいなかった。せいぜい乱戦時の戦場や視界の悪い環境での不意打ちがいくつか報告されただけだ。
事情が変わったのは、ギルマニア星人の大攻勢をヒーローがはじき返し、ギルマニア星人が戦略を変更した後のことだ。ギルマニア星人たちは強引な力押しの方針を改め、地球への浸透を図るようになったのだ。
それに伴ってギルマニア星人の擬態は次第に技術を高めていった。おぞましい化け物の姿は次第に人間の姿に近づいていった。それでも、最初はそれほど人間とはかけ離れたものだった。どこか形が歪であったり、姿を模倣しても動きがぎこちなかったりした。しかし、今では……。
俺の頭に一人の男の顔が浮かぶ。あの日、降池堂に現れた若い男。婆さんと戦い、大けがを負わせたあのギルマニア星人。
それほど多く話をしたわけではない。だがあの男と話したとき、俺は最後まで違和感を覚えなかった。もしもあの時婆さんが見破らなければ、そのまま当たり障りのない会話をするだけで去っていたら、俺は今でもあの男がギルマニア星人だったとは気がつかなかっただろう。
横目でじっとコチテの顔を見る。コチテは興味深そうにヒーローチェスの盤面を見つめている。
ギルマニア星人の擬態技術はさらに向上を続けている。今では実在の人物になりすました事例も報告されている。例えば、隣で陣地盤を見つめているコチテがギルマニア星人でないとなぜ言い切れる?
ぶるり、と俺の体が震えた。
「あら、班長さん、戻ってきてたんですね」
ふいに背後から冷たい声が聞こえた。俺はバネ仕掛けのおもちゃのように振り返った。
そこに立っていたのはナリナだった。
ナリナのかけている大きな眼鏡が照明の光を反射してきらりと輝いた。
【つづく】




