79
最初に味覚に切り込んできたのは、温かさだった。長時間の懲罰でこわばりきった全身に濃い目の塩気の潜んだ温もりが、一瞬で広がりわたった。温もりの中に潜んでいるのは塩気だけではない。肉の滋味と柔らかな根菜の甘味が解けるように一斉に舌の上に展開された。俺の手は半ば自動的に魚のフライを口に放り込んでいた。ジワリとスープの汁気を吸った衣がほぐれ、脂ののった魚の白身と混ざりあったものが一息に喉を通り過ぎていく。その感触をなんと表現すればよいというのか! 俺の食欲は口内の空白を許さない。空いた隙間にみずみずしいサラダが押し込み、咀嚼する間を惜しんで滑らかな人造栄養食をすすりこむ。ドレッシングの酸味と野菜の新鮮な青臭さが奏でる旋律に、人造栄養食が乱入して奇妙に厳かな調和をもたらした。おお、その調和の中に改めてスープを注ぎ込むことで、口の中で織りなされる規律の取れたどんちゃん騒ぎは美しい連環となって繰り返され、俺の意識を塗りつぶしていくではないか。
そして、俺は自分が空の器の底をスプーンでつついていることに気がついた。
「美味かったか?」
オニルが顔を上げて尋ねた。俺は黙って頷いた。
「飯くらいまともなもんを食わせんとな、お前らすぐに音を上げるだろ」
不承不承、俺は頷いた。これだけの飯が食えるのならオニルのしごきにも耐えられる気がした。オニルがニヤリと笑った。耐えられると思ったのは気のせいの気がしてきた。
でも、美味かったのは気のせいではなかった。栄養が身体にぐんぐんと行きまわるのを感じた。疲れ切っていた身体に力がみなぎってくる。
「おかわりも貰えるから、遠慮するな」
オニルは配膳口を顎でしゃくった。
「ちょっと、行ってきます」
コチテは跳ねるように立ち上がった。
「俺も行ってきます」
「私も」
コチテとサルワが立ち上がると、意外なことにナリナも席を立ち、足早に配膳口に歩いて行った。
「お前らはいいのか?」
「本当に遠慮しなくていいんだよ」
「あー、俺は腹いっぱいです」
「俺もです」
ロクオが腹を擦りながら言った。俺も頷く。無理をすればまだ食べられるかもしれなかったけれども、十分に腹は満ちていた。限界まで食べるのはあまり得意ではない。腹がいっぱい過ぎると作業に集中するのが難しくなってしまうからだ。少なくとも俺は父さんにそう教わっていた。
「そうか」
ふむ、とオニルは鼻を鳴らして、俺たちの顔を眺めた。
「小食なんだな」
まあいい、とオニルはタブレットに目を落とした。何を見ているのだろうか、ひどく険しい顔をして画面を睨んでいる。
俺は手持無沙汰で食堂を見渡した。コチテたちがまたしても山盛りのトレーを受け取っているのが見えた。さっきよりも量が増えているようにも見えた。食べきれるのだろうか。いざとなったら手伝ってやった方がいいかもしれない。そのくらいの余裕はある。
「あの、オニル教官殿」
かしこまった声が聞こえた。ロクオだった。
「どうした? ロクオ君」
オニルはタブレットから顔をあげずに答える。
「その」
ロクオは口ごもった。俺は自分の腹をさすりながらさりげなくロクオの顔をうかがい、そのままさりげなく目をそらした。
ロクオはやけに真剣な顔をしていた。面倒なことになりそうな気がした。俺は立ち上がろうとした。立ち上がっておかわりをもらいに行こうとした。でも、遅かった。
「お伺いしたいことがあるのですが」
鋭い声でロクオは言った。
「おう、なんだ?」
オニルは気の入らない声で答えた。
【つづく】




