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「おらあ! どうした? 腕が落ちとるぞ!」
オニルの怒鳴り声に、俺は慌てて斧を顔の前に掲げ直した。斧は木製の模造品だが、密度の高い木でできていて、とても重い。体力の最後の一片を使い果たすまで走り回った身体とって、直立したまま腕の力だけで斧を掲げ続ける姿勢はかなりキツイものだった。
何とか姿勢を保ちながら、隣の様子を窺う。同じ姿勢を取ったナリナの腕の先で、斧がプルプルと震えていた。その向こうのコチテはもちろん、屈強な体つきのサルワやロクオも歯を強く食いしばって斧の重みに耐えている。
薄暗い物置きに並んだ俺たちの前で、オニルはにやにやと笑いながら足を組んで椅子に座っていた。
ランニングで一番後ろを走っていた俺たちは、候補生の予備訓練が終わった後、オニルにこの物置きへと連れてこられた。
そして俺たち「一番のノロマたち」に斧のレプリカを渡されて、罰が始まった。
「お前ら、分かってると思うが、その斧は偉大なるアックス・ダイヤの得物模造品だからな。地面に落とすような無礼をするんじゃないぞ」
オニルは欠伸交じりに言う。
言われるまでもなく、斧に刻まれた複雑な紋様を見ただけで、それが伝説的なヒーロー、アックス・ダイヤの斧を模したものだということは分かっていた。俺もガキの頃には憧れて、おもちゃ屋の店先に並んだ斧を親父にねだった覚えがある。
もちろん、俺が今持ち上げてる斧はプラスチックのおもちゃとは比べ物にならないほど重くて、俺の腕は熱く燃えていたし、肘と肩の骨はぎしぎしと軋んでいた。本当ならこれ以上一秒でも持っていたくなくて、地面に放り出したかったけれども、オニルの目の前でそんなことができるはずもない。だから、俺は隣にいる四人と同じように歯を食いしばってひたすらに耐えていた。
「どうだ、のろまども」
オニルはいやらしく目を細めながら言った。俺たちの苦しむ表情を心の底から楽しんでいるような顔だった。
「ヒーローになるということが少しはわかったか?」
オニルは立ち上がり、一人ずつ俺たちの顔を覗き込みながら言った。
俺は姿勢を保つのに必死で何も答えることができなかった。
「わかりません」
か細く震える声が聞こえた。ナリナの声だった。ナリナは息も絶え絶えに言葉を続ける。
「これがどうしてヒーローなるということなのですか? 全然ヒーローに関係ないじゃありませんか」
俺は驚いて思わずナリナの方を向いてしまった。オニルに睨まれて慌てて正面に顔を戻す。
「いいや、ヒーローになるというのはこういうことなんだよ」
オニルは言った。
「突然何の理由もなく理不尽に見舞われ、毎度毎度自分の無力さを知る。それがヒーローだ。おまえらがそれで諦めるのかどうかはしらん。だが、生半可な気持ちでやるなら、周りを巻き込んで最悪の事態になるだけだ」
オニルは俺たち全員の目を同時に見つめながら、言葉を続ける。
「いいか、ここに来たなら、下らん信念など捨てろ。憧れも誇りも、情けも。外で手に入れたものなどいらん。全部捨てて、ここで鍛え直せ。もしも本当にヒーローになりたいのならな」
そう言うオニルの顔に笑みはなかった。残忍さも、冷たさもなかった。そこにあるのはただ正確に言葉を使おうとしている真剣さだけだった。俺は斧の重さも忘れてオニルの顔を見つめた。
「なんてな」
オニルの顔がにやりと歪む。
「俺がお前らの苦しむ顔を見るのが、大好きってだけだよ。マヌケども」
オニルの声にまた愉悦の色が戻ってくる。
「最初だからな、俺の言うことが絶対だってことを分かってもらう必要もあったしな。まあ、そのことはよくわかってもらえたみたいだが」
大きく背伸びをしてオニルは俺たちに背中を向けた。
「俺は飯でも食ってくるわ。帰ってくるまでその姿勢を崩すなよ」
そう言い残して、オニルは物置きから去って行った。
物置きには時折苦悶のうなり声を上げる五人が残された。
【つづく】




