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「なにが、嫌なんだい」
スナッチャーが問いかける。本当は聞くまでもなく全部わかっているような目つきだった。俺自身も分かっていない俺の考えまでも、全部。その訳知り顔を苛立たしく思う。けれども、そのまなざしに削りだされるように、俺は言葉を吐き出した。
「守れないのが、嫌なんだ」
返ってきたのは沈黙だった。父さんもスナッチャーも何も言わなかった。二人ともただ俺を見て、俺の言葉を待っている。だから俺は俺から出てくる言葉を考える時間があった。俺は口を開く。
「俺は、あの工房を守れなかった」
「それは」
「うん」
何かを言いかけた父さんをスナッチャーが遮って頷いた。
「それが、嫌なんだ」
口に出してしまえば、それはどこまでも本当のことで、やけにすとんと腹に落ちた。スナッチャーは柔らかく微笑むと、俺の肩に無事な方の手を置いた。
「君はヒーローじゃない。守れなくっても、君が悪いわけじゃない」
「でも、守りたかった。何かをしたかった。それなのに、何もできなかった」
さっきまでとはうってかわって言葉は次々と流れ出てきた。
「いつだってそうだ」
言葉は止まらない。言葉を吐き出すたびに、俺の頭に次々と光景が浮かんでくる。最初に浮かんだのは焼け落ちた工房で、その工房はへしゃげた降池堂の壁と重なり、それから荒れ果てた候補生募集事務所の光景が浮かぶ。なにもかも壊されていく。俺は何もできない。
「もう嫌なんだよ」
言葉は続く。
荒廃の光景は血にまみれていた。血と肉と装甲の破片がそこいらじゅうにばらまかれていた。その吐き気のするような模様が俺に言葉を続けさせた。
「何もかも壊されて、誰かが傷ついて、その間に、俺は何もできなくて物陰で縮こまって、震えてるだけなんてのはよ」
「リュウト」
俺の名前が呼ばれる。父さんだった。父さんは俺を見つめている。
「本気なのか?」
俺は頷く。
「本気だよ」
「気の迷い、じゃないのか」
「気の迷いじゃない」
俺は父さんを見つめ返す。
「そうか」
父さんが目を伏せる。その顔に浮かんでいるのは怒りだった。でも、それだけじゃない。その目に一瞬だけ浮かんだ感情はなんだろう?
「だったら、私はお前を止めることはできないよ」
その表情は、俺が父さんの顔に見たことのない表情だった。悲しみなのか、それとも恐れなのか。俺の心が一瞬たじろぐ。ベッドの上でチューブにつながれた父さんはやけに小さく見えた。
「ああ、そうだよ」
俺は歯をかみしめて頷いた。でも、言葉を引っ込めることはしたくなかった。できもしなかった。それは間違いなく俺の言葉で、俺の意志だった。
「スナッチャーさん」
父さんはスナッチャーに向かって言った。
「どうやら、こいつは本気のようです」
「はい」
スナッチャーは頷いた。ひどく神妙な顔だった。
スナッチャーは右腕を差し出した。包帯に撒かれた歪な手だった。
「ようこそ、ヒーロー連盟へ」
スナッチャーは俺の顔を見て、そう言った。
それが握手なのだと気が付いた。俺は右手を持ち上げた。とても重い。目に入って初めて、自分の手が震えているのに気が付いた。俺は何とかその震えを堪えながら、スナッチャーの手を握った。
「ああ、よろしくお願い……します」
俺のぎこちない言葉を聞いて、スナッチャーは微笑んだ。それは穏やかな凄みのある笑顔だった。
父さんは何も言わなかった。ただ、不安そうな視線だけが、俺の頬に突き刺さっていた。
【つづく】




