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志願制ヒーローたち  作者: 海月里ほとり


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「すまない」

 病室に入ってくるなり、スナッチャーは頭を下げた。いつもの韜晦はなかった。額に深い皺を刻んだまま、一度ベッドの上の父さんと俺を見てから、もう一度頭を下げた。

 個室にはようやく意識を取り戻したばかりの父さんと、見舞いに来ていた俺だけしかいなかった。母さんとユイナは燃えた家の近くの公用寮で生活を始める準備に出かけていた。

「そんな、顔を上げてください。一体どうしたって言うんですか」

 父さんは慌てた様子で首を振った。とても戸惑っている口調だった。俺もスナッチャーの言葉に首を傾げた。例の火事があってから、まだ自身の怪我も治っていないというのにスナッチャーはヒーロー連盟から俺たちへの窓口として、色々と便宜を図ってくれた。寮を借りる手続きは思いのほかスムーズに進んだのも、おそらくヒーロー連盟の口利きがあったからだろう。

 だから俺と父さんは目を見開いたまま、スナッチャーの頭を見つめていた。

 すこし間を開けた後に、スナッチャーは頭を下げたまま言った。

「例の工房のことだ」

 す、と父さんが息をのむ音が聞こえた。病室の温度が一段下がったように思えた。

「どうなりましたか?」

「連盟はあの工房に関与していない」

「はい?」

「そういうことになる」

「はあ」

「そういうことになった」

 苦々しい口調でスナッチャーは言葉を吐き出した。

「どういうことですか?」

 父さんが首を傾げた。俺もスナッチャーの言葉の意味を理解することができなかった。いや、言っていることは分かる。あの火災のせいで、秘密の工房の存在が明らかになってしまった。それが連盟と結びつけられるのは避けるべきだ。他の協力している民間の施設に影響が出てしまうかもしれないからだ。

「つまり、もう資金面でもつながりを作るわけには、いかない、というわけだ」

「え」

 言いづらそうにとぎれとぎれに発せられたスナッチャーの言葉に、父さんが声を漏らした。俺はまだその意味が分からなかった。

「それじゃあ、機材や資材の代金はどうなるんですか」

 父さんの声はほとんど悲鳴のようだった。スナッチャーはうつむいたまま何も言わなかった。その沈黙は何よりも雄弁に問いに答えていた。父さんの顔がさっと青くなり、それから急に赤くなった。

「依頼のために新機材を導入したんですよ、ドブガスカル合金だって仕入れた。その支払い、まだ終わってないんですよ」

「すまない」

 父さんの激しい口調を、スナッチャーは遮った。強い口調ではなかった。でも、反論を許さない声だった。父さんは赤い顔のまま、口を閉じた。

 重苦しい沈黙が病室を満たした。

 次第に俺にも状況が分かってきた。あの秘密の工房の新機材や高価な材料、その支払いは父さんの名義だ。もちろんそれらの機材や材料は価値をもたらす。今後も連盟の依頼を受け続ければ、そう遠くないうちに支払った以上の金額を稼ぐことができるだろう。

 ……稼ぐことができただろう、だ。俺は自分の中で発した言葉を訂正する。

 その価値を稼ぐはずだった最新の機材も高価な資材も、今はすべて灰となって焼け跡でくすぶっている。

「表の工房や、家の分は連盟が負担する。多少は色を付けられる……と思う」

「そう、ですか」

 スナッチャーの言葉に、父さんは頷いた。その顔にはもう怒りはなかった。ただ、呆然と燃えがらのような表情でため息をついた。深いため息だった。内臓と魂を全部吐き出すようなため息だった。

「そうですか」

 父さんはもう一度呟いた。また沈黙。

 俺は自分の息が荒くなるのを感じた。重たい空気に潰されないように、強く息を吸ってから俺は口を開いた。

「じゃあ、俺も働くよ」

 父さんがどんよりと曇った目で俺を見た。

「上級技術学校はもうやめちゃってさ、それで父さんの工房で働くよ。そしたら稼ぎも上がるだろ? 大丈夫、俺だってもう働けるさ」

「ああ、どっちにしても、学校はやめてもらうことになるだろうな」

 父さんは続けた。

「悪いが、学費を払ってやることはできそうにない」

 じくりと胸が痛んだ。でも、仕方がないことだ。上級技術学校の学費は安いものではない。その負担がなくなるのなら、少しは機材や資材の支払いも楽になるだろう。

 俺がそんなことを考えていると、父さんは首を振った。

「すまないな」

 暗く、重たい声だった。俺の言葉に賛同している声ではなかった。その暗い目を見て、俺の心臓はさらに激しく高鳴った。

「いくら払わないといけないんだ?」

 父さんは何も言わない。

「父さん」

 俺は呼びかける。父さんはふいに両手で顔を覆った。吐き気がこみあげてくる。頭にカタログの頁が浮かぶ。工房にあった機材の頁。そこに記されていた値段。働き詰めの人生を何度繰り返しても届かない額。

「いくらなんだ?」

 その金額が何分の一だったとしても、普通に働いて返せるような額だとは思えない。父さんは何も言わない。ただ、深い絶望そのもののような息を吐き出し続けている。

「すまない」

 スナッチャーがもう一度言った。俺の頭にさっと血がのぼった。俺の腕は俺が考えるよりも早くスナッチャーの襟元を掴んでいた。スナッチャーの小柄な身体が俺に引き寄せられる。

「どうにかならないのか」

「すまない」

 スナッチャーが言葉を吐き出す。俺の拳が固く握られ、振り上げられる。そのまま顔めがけて振り下ろそうとする。

 そこで俺の動きが止まる。思考が戻ってくる。俺の目はスナッチャーの襟元のヒーロー連盟のバッジに吸い寄せられていた。

 

【つづく】

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