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目をこする。目を閉じる。もう一度、目を開ける。何度目を瞬かせても、目の前の光景は変わらない。赤い炎の光が、立ち込める黒い煙が、俺の目玉を激しく責め立てる。
苦しい。息が、苦しい。自分が息をしていないのに気がつく。息苦しい。慌てて息を吸う。
難燃素材が焼ける、吐き気のするように鋭い匂いが肺に突き刺さる。激しく咳き込む。頭がクラクラする。
辺りを見渡すと、随所の物陰に様子をうかがう人影が見えた。炎が照らし出すのは、恐怖と好奇心に満ちた目の野次馬たちだ。
思考機械が生活の危険を制御するようになり、火も火事も縁遠いものになった。
それでも、いや、それだからこそ、あかく揺らめく炎と黒く渦巻く煙は見るものの恐怖を呼び起こす。
俺は目を凝らして人影を見つめる。知った顔はない。父さんも、母さんも、ユイナも、そこにはいない。
俺の血が火に炙られたように熱くなる。
炎に向かって、俺の脚が一歩進む。
「危ないぞ、少年」
低い声が聞こえた。俺の方に分厚い掌が置かれ、さらに踏み出そうとした俺の足を止める。その手は頑丈な銀の装甲に包まれていた。その焼け焦げた銀色には見覚えがあった。
「え?」
「ああ、そうだ。私が来た」
力強い声が答える。振り返る。
そこに立っていたのは至る所に黒い焦げの残る銀色の装甲に身を包んだヒーローだった。活劇の人気ヒーローの一人、名前はファイヤー・エンダー。
「少年はこの家の子か?」
「はい、そうです」
俺は頷いた。思考はひどく混乱したままだった。
なぜ?
ファイヤー・エンダーは大規模災害への対処を主な任務とするヒーローだ。個人の家の火災に出動することはほとんどないはずだ。
「私が来たからには、もう大丈夫だ」
ヘルメットから覗く、火傷に引き攣った口元がにこりと笑う。口元しかみえていないのに、それではね回っていた俺の心臓は少しだけ落ち着く。
なんでだっていい。ファイヤー・エンダーが来たなら、火事なんてすぐに消える。みんな助かる。それだけは確かで、それだけで十分だ。
「あの、父さんと、母さんと、妹が……なかに」
「なに!」
ファイヤー・エンダーのヘルメットが燃え盛る炎にさっとむいた。
「わかった。少年はここで待っていなさい」
ファイヤー・エンダーが言うと同時に、その背中から幾つかの小型の無人機が飛び出した。
「火よ! 恐れよ! お前が俺を打ち負かすことはなし! 俺がお前を打ち負かすのだ!」
勇ましいチャントとともに、無人機がファイヤー・エンダーの頭上で隊列を組む。
「待っていなさい」
ファイヤー・エンダーはもう一度言うと、勢いよく燃え盛る家に飛び込んだ。
俺は銀に輝く背中を見つめた。
その背中はすぐに炎に包まれて見えなくなった。
【つづく】




