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スナッチャーの三日月のような目が俺の顔を覗き込む。金縛りにあったように俺の身体は動かなくなる。俺は全身の意思を総動員して、首を振る。
「わかった、わかったよ」
「わかればよろしい」
スナッチャーはおどけた調子で言って、唇の端を吊り上げた。
「ところでさ」
スナッチャーはくひひ、といやらしく笑いながら俺の顔を覗き込んで言った。
「そういうリュウちゃんはヒーローにならないの?」
「ならねえよ」
もう何度目かの質問だった。俺はいつもと同じようにうんざりした口調を作って答えた。手紙を出しに事務所に行くたび、スナッチャーは同じ質問をした。
「俺に声かけるくらいならもっとやる気あるやつを採用しろよ」
「そういう説はあるね」
まったくもって適当な様子でスナッチャーは嘯く。どうせ俺がヒーローになると言うなんて、欠片も思っていないのだ。わかっているくせに毎度毎度聞いてくる。からかっているのだ。
「何とも残念だよ」
大げさに天を仰ぎながら、スナッチャーは言う。ちっとも残念そうじゃない。
いっそ本当に頷いてやろうかと毎回思う。そしたらこいつはどんな顔をするだろう。でも、想像するだけ。実際に頷いたりなんかはしない。
うっかりそんなことをして、学校にいけなくなったりしたら困ってしまうから。
「学校は楽しい?」
天を仰いだまま、ゆっくりと伸びをしてスナッチャーが言った。
「おかげさまで」
俺は答える。答えたところで、疑問が浮かぶ。スナッチャーに進路について話したことなんてあっただろうか。
「そりゃよかった」
スナッチャーは大きな欠伸をしながら言った。
「失礼、最近忙しくてね」
照れたように目を擦ってから、言葉を続ける。
「まあ勉強は大事だよね」
「嘘くせえな」
「皆様のご協力でヒーローは活動できておりますから」
スナッチャーはやけに白々しい口調で、連盟の広報にでも載っていそうなことを言う。俺は目を細めてスナッチャーを見た。
「いやいや、本当に思ってますよ。思ってますとも」
スナッチャーはひらひらと掌を振った。
「守るものがないとヒーローになんかなれないからな」
「え」
思わず顔を上げてスナッチャーの顔を見た。その声はさっきまでと違って白々しいものじゃなかった。俺に聞かせるための言葉でさえないようだった。
スナッチャーは遠く、路地裏の角の向こうを見つめていた。
「コチテのことか?」
スナッチャーはきょとんとした顔で俺を見て、首を傾げた。
「え、ああ」
パンと両手を打ち鳴らして、ぶんぶんと大きく首を振る。
「違う違う。別にそういうわけじゃないよ」
スナッチャーの目を窺って見る。その大きく見開かれた目は慌てているようにも見えた。でも、その慌てぶりさえ、わざとのようにも見えた。
「別に、そういうわけじゃないよ」
スナッチャーはもう一度ゆっくりと繰り返した。苛立たしいくらいに意味ありげな顔つきだった。
「そうかよ」
俺は肩をすくめた。多分意味はないのだろう。もう薄々スナッチャーの性格は分かり始めてきていた。少なくともこのまま問いただしても答えは出ないだろう。腹立たしいことに。
「さ、もういい時間だぜ」
スナッチャーはわざとらしく思考腕巻を覗いて言った。
感情の読めないいつもの笑顔で俺の背中を叩く。
「良い子は家に帰りな。このあたりも最近は物騒だからな」
【つづく】




