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「ひどいって、なにがだよ」
「なにって、ひどいでしょ」
カウンターにもたれかかりながら、スナッチャーは言った。
「こんな紙切れ一枚で、命かけてさ、死にかけたり、死んじゃったり、手足の一本二本失くしちゃったり」
「そうだな」
俺は頷いた。かなり奇妙な感覚だった。
スナッチャーの顔は微笑んでいるように見えた。
でも、その微笑みは他のヒーローたちの微笑みとは違うもののように思えた。どこか忌々しさか、憐みか、なにかそういう感情を隠しているような微笑みだった。 ヒーロー連盟に所属する人間が、そんな顔をするのを俺は初めて見た。
「なにさ」
俺の怪訝そうな目に気がついたのか、スナッチャーはきょとんとした顔で首を傾げた。
「いや、ヒーロー連盟の人間が、そんなこと言うんだなって思って」
「そりゃ、思うさ。とくにこういう仕事してるとね」
スナッチャーは机の上の誓約書を見つめた。
「折角必死こいて勧誘してさ、手続きして、育てた後輩たちが一瞬でいなくなっちまってさ。ずっとそれの繰り返しだもん。嫌になっちゃうことはあるさ」
「あんたは、ヒーローなのか?」
「まあね」
顔を上げないまま、スナッチャーは答えた。少しだけ間があいて、少しバツが悪そうに再び口を開いた。
「元、だけどさ」
「元?」
「そう、まあ、ちょっといろいろあってね。前線は降りてここでの仕事してるってわけ」
「あー、そうなのか」
俺は相槌を打った。深く追求するべき話題ではないように思えた。少なくとも初めて出会った相手に対しては。
だから俺は何も言わずにスナッチャーの言葉を待った。
でも、続きの言葉はなかった。
しばらく、事務所を重苦しい沈黙が満たした。
俺は尻がむずむずするような感覚を堪えながら、事務所を見渡した。以前のギルマニア星人の襲撃の痕跡はどこにも残っていなかった。壁紙やカーペットは新しいものに替えられていて、血痕や体液は残っていない。
あれだけ部屋中に飛び散っていたのに。ギルマニア星人の体液と、Mr.ウーンズの血痕が。
「Mr.ウーンズは」
俺は口を開いた。スナッチャーが顔を上げて俺を見た。
「どうなったんだ?」
沈黙を破るための質問だった。だが、気になっていることではあった。
あの日以来、ニュースにも活劇にもMr.ウーンズは登場しなかった。もう引退したのだから、当然なのかもしれないが、怪我をしたというニュースさえ流れなかった。毎日チェックしていたので間違いない。
「そうか。君はあの時ここにいたんだね」
スナッチャーの大きな目が俺を見た。
「どうなった?」
俺はもう一度繰り返した。スナッチャーは首を振った。
「悪いけど、教えられないよ。機密情報だ」
「そうか」
俺は頷いた。確かにどうなっているにせよ、部外者に教えられるようなことではないかもしれない。
「あ、でもでもでも!」
スナッチャーは突然パンっと両手を打ち鳴らした。
「もし、リュウくんがヒーローになってくれるなら、機密情報も教えられるかも!」
その口調はさっきまでとは、打って変わってまたしてもわざとらしいほどに明るい口調だった。表情もはじけるような笑顔に戻っていた。
「ならねえよ」
俺は苦笑いを作って調子を合わせた。
「えー、でもけっこう向いてると思うけどな」
スナッチャーは腕を組みながら口を尖らせた。
「そんなことねえだろ」
俺は首を横に振った。
「そうかなあ」
スナッチャーは言いながら、俺に背を向けた。何かを探すように棚の方を向く。
「あ?」
気のせいだろうか、振り返るその一瞬にスナッチャーの唇は吊り上げられたように歪んでいたように見えた。
「なんだ?」
だが、俺が口を開いた瞬間、耳をつんざく絶叫が響いた。
「ごぶりゅらあああ!」
【つづく】




