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額の冷たい感触にゆっくりと目を開ける。揺れる視界に表情の乏しい女性の顔が映った。
「起きたか」
女性は言った。俺は唸り、身体を起こそうとした。でも、世界はまだ揺れていて腕に力は入らなかった。俺は床に倒れ込んだ。
「無理はするな」
「コネアせんぱい。手当を?」
「ああ、師匠に言われてな」
俺が絞り出した声にコネアは平坦な声で答えた。女性の名はコネア。俺と一緒にギガントモンクに師事するヒーロー候補生だ。
床に横たわったまま、目だけで辺りを見渡す。俺はまだ訓練場にいるようだった。ギガントモンクはいなくなっていた。
「師匠は?」
「さあ。部屋で酒でも飲んでいるんじゃないのか」
コネアは答えた。その声には呆れや怒りが籠められている様子はなかった。
コネアは俺よりも長くギガントモンクの元で修行をしている。ギガントモンクの人となりについては、俺よりもよく知っているはずだった。
「こっぴどくやられたな」
コネアは言って、俺の額から手拭いを取り上げると傍らに置いた盥に浸してから絞った。ぽたぽたと手拭いから落ちた雫が盥の中の水を叩く。
「すみません」
「師匠の指示だから」
コネアは平坦な声で言って、手拭いを俺の額に置きなおした。
ヒーロー連盟には最新の治療機械や応急手当の用品はあるし、ギガントモンクにも支給されているはずだったが、奴は俺たちにそれを使わせてはくれなかった。どういう理由があるのかはわからなかった。俺は単にギガントモンクのサディスティック楽しみの為なのだろうと思っていた。
「ヒーロー問答か?」
コネアは言った。その目は訓練場の隅に向けられていた。目線を追う。そこにはヒーロー聖典が開いたままページを下にして打ち捨てられていた。
「そうです」
俺は頷いた。コネアは何も言わず立ち上がり、ヒーロー聖典を丁寧に拾った。開いたままのページを見て、ふむ、と小さく唸った。
「この問いでやられたのか」
コネアは正座で坐り、横たわる俺に聖典のページを開いて見せた。頬に痛みが蘇った気がして、俺は唸り声を上げ、頷いた。
「お前はとても敵わないような敵と対峙している。お前の後ろには護衛対象者。さあ、どうする」
「それです」
「何と答えた?」
コネアは静かに尋ねた。俺は痛みを堪えるための振りをして目をつむった。
「戦います、と答えました」
「そうか」
コネアは頷き、続けた。
「それは殴られるだろうな」
面白くもなさそうな口調だった。その口調に少しだけ腹が立った。
「じゃあ、コネア先輩ならなんと答えたのですか」
「戦う、と答えるだろうさ」
答えるコネアの声は変わらず平坦な声だった。
【つづく】




