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「あ?」
俺の肩越しに、オニルはナリナの顔を見た。とても意外そうな顔をしていた。まるで質問の意図がわからないとでも言うような、不思議そうな表情だった。
「今、お前は『私はどうなんだ?』と聞いたのか?」
「ええ、はい」
ナリナが答えた。俺はナリナのほうに振り返った。床にへたり込んだままのナリナは険しい表情でオニルを睨んでいた。その目には怒りと混乱が渦巻いていた。ナリナの気持ちはよくわかった。騙されて値踏みをされていた屈辱は俺も同じだった。
「いえ、やはり、なんでもありません」
ナリナは目を伏せて首を振った。
「これが試験だったというなら、わたしは……」
ナリナの声はよどんで消えた。ナリナの手は硬く握りしめられ、僅かに震えていた。床の上で折りたたまれたナリナの身体からは触れられそうなほど強い怒りが発散されていた。
俺はわずかに目をそらした。無力感とわずかな後ろめたさを感じていた。ほんのわずかにでも状況が違えば俺もナリナと同じ表情をすることになっていたかもしれない。
俺は口を開き、何かを言おうとした。
「うがあ!」
でも、俺の言葉はナリナの叫びに遮られた。とっさに身構える。ナリナがオニルに殴りかかる姿を予見した。けれどもナリナの拳はオニルの顔には突き刺さらなかった。
「ぐうう!」
再びナリナの叫び。ナリナは自分自身の腹を殴りつけていた。
「何をしている!?」
俺は叫び、再度振り上げられたナリナの拳を掴んで止めた。
「離せ」
「落ち着け」
ナリナが俺を睨む。俺は睨み返して答えた。
「反省をしているふりをしても結果は変わらんぞ」
あきれた口調でオニルが言った。
「わかってます」
腹立たしげにナリナは吐き捨てる。両手で掴んだナリナの腕はそれでも俺の拘束を振り払いそうなほど強い力で暴れまわっていた。
「ふりをしているわけじゃないです。ただ自分に腹が立っているだけです」
「おい、ナリナよ」
オニルが言った。気が付くと、オニルは俺たちの近くに寄ってきていた。オニルはナリナの顔を覗き込んだ。
「なにを怒っているんだ?」
「あんたらに簡単に騙されて、いいように踊らされた自分のマヌケさにです」
「なるほど」
オニルは小さく笑った。ナリナの顔はさらに険しくなった。ふいにオニルが手を伸ばし、俺の手の中で暴れるナリナの拳を掴んだ。びくり、と怯えたように暴れ狂っていたナリナの拳が動きを止める。
「確かにお前はマヌケだよ」
「……知ってますよ」
ナリナが苛立たしげに答える。オニルはナリナを見つめたまま口を開く。
「だが、真剣なのは知っている」
「真剣なマヌケが一番手に負えない」
「だが自分がマヌケなのは今日よくわかっただろう」
オニルが言った。俺は思わずオニルの顔を覗き込んだ。オニルの声はひどく優しかった。声だけじゃなかった。その顔に浮かんだ笑顔も、オニルの顔にあるのがふさわしくなく感じるほどに優しく、穏やかなものだった。
「お前の真剣さは強い武器だ、だがそれは使い方を誤れば、今回みたいにひどいことになる。だから、マヌケなことはもうやめるんだ」
「それじゃあ」
ナリナの拳から力が抜けた。ナリナは困惑した表情で首を傾げた。
「ヒーローになるならもう少し落ち着いて考えられるようになれ」
俺の脇を影が通り抜けた。どんと鈍い音がした。隣を見るとナリナがオニルに組み付いていた。
「本当ですか」
ナリナは言った。
「嘘をついてどうする」
オニルは苦しげに答えた。
二人のやり取りを聞くうちに、俺の脳がようやく状況を理解する。じわりと暖かな熱が腹の底に沸いた。俺は中腰になっていた姿勢から体を起こし、ナリナごしにオニルに抱きついた。
「ありがとうございます」
俺は叫んでいた。
「お前に礼を言われることじゃない」
オニルは冷静な声で答えた。殴りつけたくなるくらいに平然とした顔だった。
「あー、お二人さん」
咳払いとともに、背後からジジクが声をかけてきた。
「そろそろ寝室に戻った方がいいかもしれませんねえ。明日はずいぶんといそがしくなるでしょうから」
【つづく】