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俺の背後で、扉が音もなく開いた。滑らかな足音が近づいてくるのがかすかに聞こえた。その声を俺は知っていた。
「ジジク、何故ここに?」
「楽しかった思い出の談話室とのお別れが名残惜しくて」
俺はナリナと対峙したまま、目だけを動かしてジジクを見た。常夜灯が青白く照らし出すジジクの顔は笑顔だった。いつもの表情の読めない、仮面のような芝居がかった笑顔。
「楽しそうなことをしているじゃありませんか」
ジジクは俺を見て、次いでナリナを見た。ジジクは夜目が利く。この薄暗さの中でもナリナの手の中にある小銃はわかったはずだった。でも、ジジクは眉一つ動かさず言葉をつづけた。
「お二人はどうしてまたこんなところで?」
その声はいつもと変わらない、どこか人を小ばかにしたような口調だった。
「それは……」
俺はナリナに視線を戻しながら口ごもった。事情を説明しようかとも思った。そうすればナリナに対峙する味方になってくれるかもしれなかった。けれども、俺の言葉は続かなかった。なにを言えばいいのかわからなかった。
ナリナは俺と同じように動きを止め、俺たち二人を見ていた。じっと神経を集中しているのを感じた。手の中の銃はまだ俺のほうを向いたままだ。まずいことを言えば、その銃が火を噴くかもしれなかった。俺のほうか、それともジジクのほうを向いて。
「ジジク」
俺は静かな声で言った。
「用がないなら早く部屋に帰りな」
強く命令する口調を出したつもりだった。けれども返ってきたのはからかうような鼻で笑う声だった。
「それで、ベッドに戻って布団の中で黙って撃ち殺されろと?」
思わずジジクの顔を見る。ジジクの顔は変わらぬ軽薄な笑顔。いつもと同じだ。その目が笑っていないことも含めて。
「聞いてたのかよ」
「耳が良いもので」
ジジクは笑い、言った。しなやかな足音が聞こえた。
「どんな理由で死ぬのに比べても」
ジジクは俺の隣で立ち止まり、言う。
「気違いに殺されるのは楽しくない」
ナリナがピクリと動くのを感じた。ナリナの腕が一瞬、惑うように震え銃口が動く。俺とジジクのちょうど間を狙うように止まった。
「わたしは気違いなんかじゃない」
ナリナは言った。ジジクは大げさに驚いたように言った。
「おやおや、大きな鉄砲を構えて、同じ釜の飯食った仲間を撃ち殺そうとするような人間が、気違いではないですと?」
「あ?」
ナリナが恐ろしい声を漏らした。俺の心臓は縮みあがった。ジジクの不用意な言葉が決断的な時間に至るまでの猶予を大幅に削り取ったのを感じた。隣に立ったジジクを睨む。ジジクはいつもの笑顔だ。何を考えているかわからない。俺はジジクを止めようとした。けれどもそれより早くナリナが口を開いた。
「私は……」
「なるほど、それが、そうというわけだ」
ナリナの言葉を遮ってジジクが言った。ナリナの顔が怪訝そうにゆがむ。
「それが、君のヒーローであるという事なのですね」
「あ?」
ナリナが再び恐ろしい声を出した。
すい、とナリナの持つ銃の先がジジクに向けられた。
【つづく】