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暗闇の中に影が動く。目を凝らす。誰だ? 寝室を覆う暗闇は分厚く、影の正体は判然としない。影がベッドから立ち上がる。足音をひそめ、ベッドの間を気配が進む。
俺は息をひそめ、ただ気配に集中する。きいと扉の開く音がして、薄い明りが細く差し込む。影は細く開けた扉の隙間からするりと部屋の外に出た。素早い動きだった。影の形はまだ見えなかった。
俺はそのままの姿勢で閉まった扉を見つめた。しばらく待った。でも扉は開かなかった。誰かが便所にでも行ったのだろうか。そう思う。それなら何もおかしなことはない。他の奴を起こさないように静かに移動する。当然のことだ。
でも、なにか胸騒ぎがした。このまま布団を被って目をつむる気にはなれなかった。はっきりとした理由があるわけじゃない。ただ、ただ単に便所に行くだけにしては影の足取りは慎重すぎたような気がしただけだ。
静かに身体を起こす。影はまだ帰ってこない。便所にしては長すぎる。気のせいか? 予備訓練所最後の日という事実が、俺の神経を過敏にしているだけか? あるいはさっきのオニルやスナッチャーとの話が、まだ後を引いているのか?
俺はゆっくりとベッドの縁に手をかけた。床に足を下ろす。床の冷たさを足裏に感じる。静かに立ち上がる。
音を立てず、いびきと寝息の間を抜けて、扉まで歩く。ノブに手をかけ静かに細く開ける。その隙間に身体を滑り込ませる。さっきの影の動きをなぞるように。廊下を見渡す。当然誰もいない。薄暗い廊下がどこまでも続いている。俺は歩き出す。知らず足音を殺して。
別に何かをするつもりはない。便所に行くだけだ。俺は自分にそう言い聞かせる。
知らぬ間に俺の手は動き、脇腹のホルスターに触れていた。オニルの命令通り、眠るときにも着けたままにしていた。体にぴったりと合ったホルスターがそれを可能にしていた。
談話室の扉が見える。扉はうっすらと開いていた。点呼の時に閉めたはずだが。つばを飲み込む。唾が喉を通り過ぎる音がやけに大きく聞こえる。
扉に手をかけ、押す。音もたてず扉は開く。廊下のかすかな明かりが真っ暗な談話室に差し込む。目を凝らす。誰もいない。ふう、とため息が漏れる。閉め忘れていただけだったらしい。
扉を閉める。便所に行こうと振り返る。
「だれ?」
声が聞こえた。俺の身体が強張る。とん、と声から遠ざかるように距離をとる。
顔を上げる。
「なんだ、ナリナか」
声の主を見て、安堵の声を漏らした。便所に続く曲がり角に立って、こちらを見ていたのはナリナだった。廊下の薄暗い明りの中で、ナリナが怪訝そうな顔で俺を見ているのがわかった。
「あー、花でも摘みに?」
俺は荒くなった息をごまかそうと問いかけた。
ナリナは答えなかった。
もう一度ナリナを見る。今度はその全身を。再び凍りつく。
「それはなんだ?」
ナリナの右手の先に、何かがギラリと輝いた。
それは危険な光を放つ大ぶりな機械だった。
【つづく】