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談話室の扉は閉まっていた。
普段は開けたままになっているはずだったが。俺は扉に耳を当てて様子をうかがった。扉の向こうからは何も聞こえてこなかった。静かに扉を開ける。灯はついていない。暗闇が廊下に流れ込んでくる。目を凝らす。何も見えない。
「コチテか?」
声が聞こえた。ヤカイの声だった。低く、抑えられた声だった。
俺は扉を細く開け、部屋に滑り込んだ。
「俺だ」
息を呑む音が聞こえた。沈黙。
「班長か、なんでここに?」
「お前が抜け出すのが見えた」
また沈黙。暗闇の向こうから視線を感じた。見えているのか? 俺は暗闇を睨みつける。暗闇は濃い。何も見えない。
「野暮用でね」
「もう消灯時間は過ぎている。さっさとベッドに戻れ」
俺は厳しい声を作って言葉をつづけた。
「俺がオニルにどやされるだろ」
「そいつは、恐ろしいな」
帰ってきたヤカイの声には薄く笑いが滲んでいた。立ち上がる気配はなかった。俺の言うことに従うつもりも無さそうだった。俺はヤカイに聞こえるようにため息をついた。
「明りをつけるぞ」
「……つけるな、と言ったら?」
「知らん。つける」
わざとらしいため息が聞こえた。俺は無視して明りのスイッチを入れた。部屋の明かりが点灯する。眩しさに眼をしばたかせる。少しして光に目が慣れてきて、ソファに腰かけているヤカイが見えた。ヤカイは細めた目で俺をまっすぐに見ていた。
「わざと暗くしていたのに」
「目を悪くするぞ」
「オニルに気づかれると面倒でね」
「その前にベッドに戻れ」
「そういうわけにもいかない」
「コチテか」
返答は途切れた。鋭い目が俺を見るめてくる。
「なぜ?」
短い問いが飛んでくる。俺はヤカイに視線を返しながら答えた。できるだけ平坦な声になるように気を付けながら。
「昼間、お前がやけにあいつを見ていたからな」
「よくお気づきで」
「班長だからな」
ヤカイは片眉を上げて肩をすくめる。俺はヤカイの訝しげな目線を無視して、傍らのスツールに腰を下ろした。
「班長殿は戻ったほうがよいのでは?」
「お前が戻るならな」
床に足を投げだし、横目でヤカイを見る。ヤカイは少しいらいらとした様子で俺を睨んでいた。俺はそれも無視した。
「ライアの物言いは許せても、ケガをさせたコチテは許せないか?」
できるだけ興味が無さそうに聞こえるように俺は言う。ヤカイは答えなかった。
「許してやれ、と俺は言いたいが、そういうわけにもいかないか。まあ、一発くらい殴る権利はあるだろう。やりすぎるなよ」
俺は腕を組んで壁にもたれかかった。
「そうじゃない」
ヤカイは首を振った。俺は顔を上げてヤカイを見た。ヤカイは俺を見ていた。俺を見るヤカイの目には、決意が込められていた。
【つづく】