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そっと爪先をリノリウムの床の上に下ろす。そのままゆっくり土踏まず、かかとの順に足の裏全体を着地させる。同時にかかとから逆の足を浮かせていく。
歩く速度を落とさずに、静かに歩くにはコツがいる。
そんなコツが役に立つことがあるのか、とオニルに教え込まれた時には疑問に思っていたが、思いのほか早く役に立つ時が来た。つまり、今だ。
動くものの気配がないかを探りながら、俺は廊下を進む。誰かに見とがめられるわけには行かない。オニルにでも見つかってどやされるのはごめんだし、そうでなくともなにかに時間を取られてしまっては、その隙にめんどうごとが起こらないとも限らない。
夜の寝室から密かに抜け出した二人が、めんどうごとを起こさないわけがないのだ。
だから俺は注意深く、静かに歩いていた。
奴らはどこに行ったのだろう。トイレか、談話室か、それともどこかの倉庫か。思案する。もしも自分がどこかに示し合わせて集まるならどこに集まる? 何か話をするつもりなら、そしてその話を万が一にも聞かれたくないなら倉庫にでも行くだろうか。あそこならば密かに話をすることができる。
俺は教練所の倉庫に向かって歩き始めた。
夜の廊下は灯が間引かれていて薄暗い。どこか不気味な感じがする。その不気味さもまた、俺が警戒しながら歩いている理由でもあった。物陰に何かが潜んでいるような気がしてしまう。厳重に戸締りのされた宿舎に『何か』が忍び込むことができないのは解っていたが。
それでも、とふと考える。ならば擬態型はどうやってこの予備訓練所に忍び込んだのだろう。緊張した頭に奇妙な疑念が忍び寄った。予備訓練所の警備は厳しい。外部の者が入り込むことはできない。候補生が外に出ることができないのと同じように。候補生が外に出られるのはヒーローになるのを諦めて、訓練所を去る時だけだ。
入れ替わることができる機会はない。皆無といっても過言ではない。ならば、どうやって? 最初から入れ替わっていた? しかし、ここに来る前に綿密な検査を受けたはずだ。いかに擬態型の性能が上がっているとは言っても、ヒーロー連盟の検査を潜り抜けられるほどではないはずだ。であるとすれば……。
であるとすれば? 俺は頭の中に浮かんだ疑問に戸惑う。であるとすれば、なんだ?
「やあ」
不意に声が聞こえた。俺の口から飛び出しそうになった自分の心臓と叫び声を慌てて押さえつけた。考え事にかまけて警戒心が薄れてしまったのだろうか。その声は突然、ごく近くで聞こえた。
【つづく】