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ヤカイは出て行った時と同様に、唐突に帰ってきた。
何事もなかったかのように、いつの間にか食堂の机につき、山盛りの朝飯を食べていた。
俺は何事もなかったかのようには、反応できなかった。
「は?」
食堂の入口でその光景を見て、俺は足を止めてしまった。後ろを歩いていたサルワが俺の背中にぶつかり、文句を言いかけて、同じように固まった。
「おはよう」
ヤカイが顔を上げて、俺たちにそう言った。いなくなる前と同じ、いつもの意味ありげな笑顔だった。
「ヤカイ!」
俺たちの脇をどすどすと音を立てて、なにか大きなものが駆け抜けて行った。激しい衝突音が食堂に響いた。
「ぐええ」
ヤカイの悲鳴が上がった。身構える。でも、すぐに構えを解く。ヤカイに組みついた存在の正体に気が付いたから。
「どこ行ってたんだよ! ヤカイ!」
ヤカイをぶんぶんと揺さぶりながら叫んでいるのは、ライアだった。ライアの顔には驚き怒りと、喜びが複雑に混ざり合った表情が浮かんでいた。
「ライア、落ち着けって」
慌てて駆け寄り、二人を引きはがす。興奮したライアの巨体を引きはがすのは一苦労だった。サルワの力も借りてなんとかライアを取り押さえる。
「でも、本当にどこ行ってたんだ、ヤカイ」
ふう、と苦しげに息をするヤカイに尋ねる。ヤカイはいつもの狡猾そうな笑みを浮かべると首を振った。
「まあ、ちょっと野暮用があってね」
そのまま、椅子に座り直し、スプーンを手に取る。
「ほら、飯の時間終わっちゃうよ、取りに行かなくていいの?」
ヤカイは平静な調子で呟き、配膳口を指差した。配膳口からはジュウジュウという音と共にベーコンの焼ける匂いが漂ってくる。胃袋がキュウと鳴った。
「ああ、じゃあちょっと取ってくるよ。戻って来るから、ここで待ってろよ」
俺は言って、配膳口の方に振りむいた。ラライアを取り押さえているサルワの肩を叩く。
「ほら、行こうぜ。積もる話は飯を確保してからだ」
「ああ」
サルワが頷き、慎重にライアを掴む手を緩めた。ライアの全身がきゅっと緊張した。
「ライアもな」
その緊張が解放される一瞬前に、俺はライアの顔の前に手をかざした。突進を開始しようとしていたライアの動きが止まる。不満そうな顔をして俺を見上げる。
「先に、飯にしようぜ」
ライアの耳元に口を寄せ、小声でつぶやく。
「どちらにしろ、今は何も言いそうにない。後でじっくり話を聞こう」
俺が肩を叩くと、ライアはしぶしぶといった様子で頷いた。
「わかった」
ライアは立ち上がり、配膳口の方に向かって歩き始めた。それでも時々未練ありげにヤカイのほうを振りむいている。
ふう、と額の汗を拭い、サルワも歩き出す。
「後でね」
「ん」
ヤカイの声に頷く。ちらりと振り返る。かすかな違和感。もう一度ヤカイのほうを振り返る。
「どうかした?」
ヤカイが首をかしげる。なんでもない、と首を振り、俺は歩き出す。内心で俺も首をかしげる。スプーンを握るヤカイの右腕は、以前よりわずかに黒ずんでいるように見えた。
【つづく】