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コチテは肩を落とし、地面を睨みつけていた。俺とさほど変わらないはずの背丈は、やけに小さく見えた。
「何が『そう』なんだ」
沈黙があった。俺は言葉を待った。やがてひどく動きづらそうにコチテの口が動いた。
「ラウドが言っていたことが、本当で……それで、俺はこんなに……ムカついてるのかもしれない。それが、本当なのかも、しれない」
ブツ切れに吐き出されるコチテの言葉は小さく、俺はかなり真剣に耳をすまさないといけなかった。
「そうか」
コチテは言いたいことを全部吐き出した様子ではなかった。俺は相槌を打って続きを促した。
遠く、教練場から誰かの気合の叫びとオニルの怒鳴り声が聞こえた。模擬戦はまだ続いているようだった。早く戻るべきかもしれない。けれども、今はコチテの言葉を聞くべきだ。俺の勘はそう告げていた。
コチテが口を開く。
「ヤカイが心配なのも本当だ」
「ああ」
「でも……」
コチテが口ごもる。俺は辛抱強く言葉を待った。
「なあ、班長……いや、リュウト」
不意にコチテが顔を上げた。俺の顔を覗き込む。コチテの顔にはひどく焦燥した表情が浮かんでいた。
「なんだよ」
わずかに黙った後、コチテは意を決したように口を開いた。
「班長は、身体何かおかしかったりしないのか?」
「あ?」
突然問いかけられて、俺は首を傾げた。
「なにか変なのか?」
「今、リュウトを突き飛ばした時も……あの夜ヤカイにケガをさせた時も、そんなつもりはなかったんだ」
俺の質問には答えず、コチテは言葉をつづけた。その目はじっと俺を見つめていた。瞳は動揺したように小さく揺れている。廊下の明かりの下でコチテの顔は青白く見えた。
「ほんの、軽く押しのけただけで、それで……それなのに倒れて、班長も、あいつも、簡単に、それでヤカイは腕を打って、変な方向に曲がって、それで呻いて」
コチテは言葉を吐き出し続ける。言葉とともにコチテの息は荒くなっていた。その目は俺に向けられていたけれども、もう俺を見ていなかった。コチテは過去を見ていた。ヤカイにケガをさせたあの夜を。俺の肩がずきりと痛んだ。
「コチテ」
俺はコチテの名を呼んだ。がしりと肩をつかみ、顔を覗き込む。
「それは、ただの、事故だ」
俺は単語を一つ一つ区切りながら言い聞かせるように言った。ゆっくりとコチテの目の焦点が現在に戻ってくる。
「さっき、俺は油断していた。多分、ヤカイもそうだ。それだけだ」
「でも」
コチテが口を開く。俺はその言葉を遮るように、コチテの肩においていた両手でコチテの腕を撫で、手首を掴みなおす。
「いいか、あれだけオニルにしごかれてるんだ。コチテだって筋力がついてきてるんだよ。自分で思っているよりも、ずっとな。だから、それで力加減が上手くいかなかった。そういうことじゃないのか」
「そう、なのかな」
「そうなんだよ」
ぼんやりと首をかしげるコチテに、俺は強く頷いて返した。もう一度コチテの肩を叩く。その肩は一緒に訓練予備校にやってきた時よりもいくぶん分厚くなっていた。
「だから、次からはそうなんだって思って上手くやればいい、そうだろ」
「あ、ああ」
コチテは頷いた。その顔にはまだ恐怖と焦燥が残っていたが、さっきよりはいくぶん血の気が戻ってきていた。
「とりあえず、模擬戦の時も気を付けたほうがいいかもな。まあ、サルワとかロクオ相手の時は大丈夫だろうけどさ。ほら、行きな」
俺はコチテの背中を押した。コチテが歩き出す。そのまま少し歩いてからコチテは立ち止まり、歩き出さないでいた俺に振り返った。
「どうしたの? リュウトは行かないのか?」
俺は曖昧な笑みを浮かべて首を振った。
「ああ、ちょっとラウドに確認しておかないといけないことがあるの思い出した。オニルには上手く言っといてくれ」
「え、ああ。うん」
怪訝そうな顔のまま、コチテは頷いた。俺はそのまま教練場へと歩き出すコチテの背中を見送った。
ふう、とため息が漏れる。俺は医務室へと歩き出した。
歩きながら俺は自分の肩を撫でた。肩の痛みは次第に増してきていた。さっきコチテに突き飛ばされた時の痛みが。
【つづく】