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ラウドの眼光はあまりにも鋭くて、俺は一方後ずさりながらごくりと唾をのんだ。
「ちょっと、待ってくれよ」
あわてて何とか言葉を絞りだす。
「あの夜ってなんですか、ヤカイがいなくなった夜のことですか?」
「なんだ、班長なのに知らないのか」
ふんと鼻を鳴らしてラウドが言った。俺はむっとした気持ちを表に出さないようにしながらコチテを見て答えた。
「ええ、なにかあったなんて今初めて聞いたので。なにがあったんだ?」
言葉の後半は神妙な顔をして黙り込んでいるコチテに向けた言葉だった。コチテは固まったまま考え込んでいた。
「説明が必要なら、そいつから聞きな」
「コチテ」
呼びかけるとコチテの目はようやくゆっくりと動き、俺のほうを向いた。だが向いただけだった。その目は俺を見てはいなかった。ただぼんやりと遠くの過去を見つめていた。
「なにがあった」
「談話室でヤカイと会ったんだ」
「ヤカイがいなくなったあの夜か?」
こくり、とコチテが頷く。俺は首を傾げた。あの夜、談話室では俺とサルワがヒーローチェスをしていた。ヤカイとライアが口論していると聞き、仲裁に行くまでずっと。口論は就寝前点呼で中断した。その時にはコチテもヤカイもいたはずだ。あの夜、二人が出会うタイミングはなかった。
「いつだ?」
「就寝時間の後だよ」
「待てよ。コチテはそもそもなんでそんな時間に談話室に行ったんだ?」
俺は尋ねた。就寝時間の後に出歩くのは固く禁じられている。用を足しに行くことくらいはできるが、もしもそれ以外の余計なことをしているのが見つかれば、オニルから身の毛のよだつような叱責を受けることになる。そんな時間に談話室に行くなんて普通には考えられないことだった。
コチテは再び俺から目をそらし、助けを求めるようにラウドの方を見た。ラウドは何も言わずに首を振った。コチテを助けるつもりは内容だった。コチテは顔をしかめ、口を開く。
「ちょっと、用事があったんだよ」
「用事ってなんだよ」
コチテは黙り込む。俺はコチテの横顔を見つめた。その顔はいつもの楽天的な表情は消え失せ、かわりに深い苦難の皴が刻まれていた。
「それは、言えない」
絞りだすようにコチテは言う。俺はため息をついた。小さくうなり声をあげ、納得していないことを示しながらも頷く。
「わかった。それからどうしたんだ。それでヤカイとあったんだよな」
「うん」
コチテが頷く。
「ヤカイが来た理由はわかるのか?」
「それも、言えない」
「そうか。それで?」
コチテは首を振った。俺はもう一度頷いて続きを促した。これ以上追及してもコチテは口を割りそうにはなかった。それなら、言いたくないことは伏せたまま、言えることを言わせたほうが良いように思えた。
けれども、コチテはまたしても黙り込んだ。再びラウドにすがるような目線を送る。ラウドは今度ははっきりと首を振った。コチテの口から舌がのぞき、唇を湿らせた。
「ちょっと……殴り合いになって」
「は?」
突然聞こえた物騒な言葉に、俺は驚きの声を漏らした。コチテが口を閉ざす。俺は慌てて言った。
「ああ、悪い。気にするな続けて」
けれどもコチテはまた口を閉ざした。沈黙が流れる。
「なにがあったんだ?」
尋ねる。コチテはうつむいたまま何も答えない。不意にラウドがため息をついた。
「まあ、それでこいつはヤカイをここに運んできたんだよ」
「そんなに酷いケガだったのか?」
「そんなつもりはなかったんだ」
コチテが突然言った。半ば叫ぶような声でほとばしるように言葉をつづける。
「ただ、押し返したら、倒れてそれで机にぶつかって、腕が変な方向に曲がって……それで、それで」
「ライアはどうなったんです?」
コチテの言葉が途切れた。俺はラウドに尋ねた。
「医務室長は、あの夜、今と同じことを言いました」
ラウドが何かを言う前に、コチテが答えた。コチテは酷く青ざめた顔でラウドを見つめていた。
【つづく】