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俺は息をひそめてヤカイの使っていたベッドを覆う仕切り布を開いた。誰もいないのを知っていても、やけに緊張してしまい俺は飲み込みにくい唾をのんだ。
「入るぞ」
そっと中を覗く。当然誰もいない。
ヤカイがいなくなったのは今朝のことだったが、持ち主のいなくなったベッドは、ひどく殺風景で長いこと使われていないようにさえ見えた。
それはベッドがとても几帳面に整えられていた、というのも理由の一つだろう。俺たちは全員毎朝起床するたびにベッドメイクをするように命じられていたが、ヤカイはずいぶんとベッドメイクが上手かったらしい。枕にも毛布にも皴一つ寄っていなかった。
「本当にあいつここにいたのかな?」
隣でサルワがため息を漏らした。サルワはどちらかというとベッドを整えるのが得意ではなくて、数日に一度はオニルの小姑めいた小言を浴びていた。
「帰ってきたら、コツを教えてもらえよ」
俺は肩をすくめて言った。
「ああ」
サルワは神妙な顔でうなずいた。
ヤカイが帰ってくるのかどうかは誰にもわからなかった。けれども、俺たちは事情を探りたかったし、そのためには何らかの手がかりが必要だった。
談話室でもばたばたと探りまわる音が聞こえた。他の班員たちは談話室の調査に回ってもらっていた。俺たち候補生の生活は談話室と寝室、それと教練場の三か所だけ構成されていた。もしもヤカイが失踪に際して何らかの手がかりを残しているとしたら、これらのうちのどこかに残っているはずだった。
「じゃあ、こっちも始めるか」
俺はサルワに言って毛布をめくった。見えたのはやはり皴一つない敷布団だった。
俺とサルワは毛布を振り、敷布団を慎重に手で撫でまわしてなにか変わったものがないかを探した。
「なにかあるか?」
「いいや」
サルワの問いかけに俺は首を横に振る。
「書置きでもあれば話は早いんだが」
だな、とサルワが枕の下を覗き込みながら頷く。残念ながら見たかぎり、シーツはまっ平らでなにも手がかりになりそうなものはなかった。
「ちょっと、そっち持ってくれ」
俺はサルワに声をかけ、敷布団を持ち上げてベッドのわきに避けた。メッシュ状になったベッドの床板からベッドの下が見える。床面にもベッドの下にも何もない。ただヤカイの私物箱が几帳面に置かれているだけだった。
「こっちは外れかな」
「ああ」
サルワが渋い顔をして頷いた。俺も同じような顔をしてしまいそうだったが、なんとか我慢した。談話室の探索組はなにか成果を見つけているだろうか。もしも、なにも成果を得られていなかったら、次はどうしようか。教練場を探すか、オニルにもう少し話を聞いてみるか。あるいはほかの教官から何か情報が得られないものだろうか。
「おや、班長殿」
俺の思考は嫌味な声に遮られた。振り返る。そこにいたのはジジクだった。ジジクは相変わらず軽薄な笑顔を浮かべてそこに立っていた。
「どうした、ジジク。何か見つかったのか?」
「ええ、まあ」
ジジクはあいまいに頷き、ちらりとサルワを見た。意味ありげなまなざしだった。ふむ、と折は小さく唸り、言った。
「おい、サルワ。ちょっと、向こう探すのに回ってもらえるか? ほら、棚の裏とかに何かあるかもしれないだろ? こっちは俺とジジクで直しておくからよ」
「ん? ああ、わかった」
サルワは少し怪訝そうな顔をしたけれども、すぐに頷いて談話室のほうに駆けて行った。
「すみませんね」
ジジクがちっとも申し訳なくなさそうに頭を下げた。俺は首を振って尋ねる。
「なにかあったのか?」
ジジクは肩越しに談話室の様子をうかがってから、ベッドの下に視線をやった。
「箱の中身は?」
ジジクが問う。その視線を追う。そこにあったのはヤカイの私物箱だった。
「開けるわけにはいかないだろ」
「何かあるかもしれませんよ」
「そもそも鍵がないだろう」
「これを試してみてもよいですか?」
ジジクは言った。俺はその言葉をよく理解できず、顔を上げてジジクを見た。ジジクの手の中で何かがきらめいた。ジジクがそれを差し出す。
それは、私物箱の鍵だった。
【つづく】