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「おい」
俺はようやく隣に並んだサルワに声をかけた。サルワはじろりと横目で俺を見た。キツさなんてまるで感じていないようなすました顔だった。対照的に俺は随分ひどい顔をしていたと思うけれども、サルワはそれには何も言わなかった。ただ走る速度を少し上げただけだった。俺は心の内で罵り言葉と悲鳴を上げながらなんとかそれについていった。
サルワと二人だけで話すチャンスは、今くらいしかない。
俺の口は息を吸って吐くだけで精一杯で、声を発する余裕なんてなかったけれども、俺はなんとかそのせわしない呼吸の合間に発声を滑り込ませた。
「おい……サルワ」
「なんだよ」
ようやくサルワが返事をした。短く、不愛想な声だった。走る速度は変わらない。俺は全身の力をふり絞り、一歩ごとに重みを増す自分の脚を前へ前へと運び続けた。
「薬は……見つかった…か?」
「見つからねえよ」
不機嫌そうにサルワが答える。見つかっていないのは知っていた。サルワの不機嫌さはここのところ、ずっと変わっていなかった。今もそうだ。少し先を行くサルワの横顔を見る。テンポよく息を吐き続ける口は、への字に曲がってこわばっていた。
「そうか」
なんとかそれだけ言葉を吐く。少しだけ黙ったまま走り続けて息を整える。それから俺は自分の弾み続ける鼓動の隙間を読んで、大きく息を吸った。その息を言葉とともに一気に吐き出す。
「薬が……ないと……不安か?」
出てきた言葉は弱々しい調子だった。全力疾走をしながら言葉を発すれば、誰だってそうなる。
けれども、その弱々しい声にサルワは黙り込んだ。走るのがしんどくなったのではないはずだ。その証拠にサルワの足は今までと変わらない速度を保っている。
沈黙があった。サルワの規則正しい足音と、俺のたどたどしい足音が混ざりあった。サルワがちらりと後ろを振り向いた。腹立たしそうな顔をしている。
サルワの速度がわずかに落ちて、俺の隣に並ぶ。
「悪いかよ」
サルワが俺を睨む。俺は首を振った。
「いや……当然だよ」
「あ?」
「大事なものが……なくなったんだから、不安なのは……当然だよ」
「そうかよ」
サルワは意外そうな顔をした。俺に説教されるとでも思っていたのだろうか。俺は必死で酸素を頭に送り込みながら、なんとか言葉を続ける。
「でもよ」
言葉が詰まった。のどが絞まり、猛烈に咳き込む。リズムを崩して脚が絡まる。俺は自分の身体が宙に浮くのを感じた。地面への衝突の衝撃を予感し、全身がこわばる。
でも、衝撃は来なかった。俺は自分の腕が掴まれているのを感じた。顔を上げる。
「大丈夫か」
俺の腕をつかんでいたのは、サルワの大きな手だった。俺は荒い息を吐きながら頷く。
「すまん、助かった」
「別に」
サルワはそっぽを向いて呟く。
「それで、何が言いたいんだよ」
そっぽを向いたまま、サルワが言った。小さいけれども確かな声だった。後ろから足音が近づいてきていた。多分ハングラとロクオだ。でも、サルワはまだ走り出さなかった。俺の腕を掴んだまま、俺の言葉を待っていた。
「ああ、いや」
俺は声を絞り出す。
「こんな時、お前の父ちゃん……フライング・エイプなら、どうしたかなって思ってよ」
間があった。サルワが答える。
「俺は父ちゃんじゃない」
「……でも、そういう風に、なりたいんだろ」
「……もう、行くぜ」
今度はサルワは答えなかった。俺の腕を引っ張り上げて、立ち上がらせると、すぐに手を離した。そのまま何も言わずに走り出す。
俺は崩れ落ちそうになる膝に手を当てて、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
俺のわきをハングラとロクオが通り過ぎて行った。
「よーし、お前ら! 今日のところはこのくらいにしといてやる!」
オニルの声が響いた。いつの間にかオニルが戻ってきていた。仏頂面のオニルと目が合った。早鐘のように跳ね回っていた心臓がぎゅっと絞まった。
「おやおや、班長殿! 休憩中とは立派な御身分ですな!」
「すみません! 教官殿」
俺は体を起こして叫んだ。限界を超えて走り続けたせいで感じていた吐き気が、オニルの鋭い視線でさらにひどいものになった。
「今日はここまで! リュウト班長はあとで俺の部屋に来い!」
「はい!」
オニルが叫び、俺たちはそれに可能な限りの大声で答えた。オニルが去るのを見て、俺はしゃがみこんだ。班員たちは何も言わずに俺のそばを通り過ぎて行った。一つの足音が俺の近くで立ち止まった。顔を上げる。
「大丈夫か?」
俺を見下ろしていたのはサルワだった。サルワは俺に手を差し出していた。俺はその手をとって立ち上がった。
「ありがとう」
「別に」
サルワはそれだけ言うと振り返って出口に向かって歩き始めた。俺は遠ざかるその背中を見つめた。腕をさする。さっきサルワに掴まれた感触がまだ残っていた。
【つづく】