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いつもどおり、サルワは先頭を突っ走っていた。もう数えるのも嫌になるくらい教練所をぐるぐる走って回った後なのに、サルワのペースはちっとも落ちる様子はなかった。最初は食らいついていたハングラとロクオもさすがに疲れ果てたのか、距離を開けてサルワ後ろを追いかけるだけになっていた。
今日の訓練はシンプルに、ひたすら教練所を走り続けるというものだった。いつまで走り続けないといけないのか、誰も知らなかった。知っているとしたら、オニルだけだ。
「よーし、お前ら、そのまま俺が戻ってくるまで走り続けろ」
オニルはぼりぼりと顎を掻きながら言うと、教官室に向かって歩き出した。走り続ける俺たちの間に微かな安堵の空気が漂った。
「すぐ戻るからな、さぼるなよ」
オニルは扉の前で振り返ると、ぎろりと俺たちを見渡してから叫んだ。ばたんと扉が閉まり、オニルの姿が消える。
「ほら、みんな! ペース落とすなよ!」
俺は叫んだ。オニルの抜け目ない。走る速度を緩めたりなんかしたら、その瞬間にオニルが現れて怒鳴りつけてくるのはわかりきっていた。
返事はなかった。それでも露骨にペースを落とすやつはいなかった。俺は安心する。誰かが怒鳴りつけられたら、俺も一緒に罰を受けることになるのは明らかだったからだ。
幸い、その危機感は皆、共有しているようだった。
しばらく俺たちはもくもくと走り続けた。私語をする奴はいなかった。走っているだけでもきついのに、わざわざ口を開く余裕なんてなかった。
俺は集団の一番後ろを走っていた。別に俺の脚が遅いからだけじゃない。脱落者がいたらフォローしないといけないからだ。どうやら今のところ脱落者はでなさそうだった。
覚悟を、決める。一歩、さっきよりも速く脚を動かす。次の一歩はそれよりも速く。ゆっくりと、脚のリズムを速める。
「左から失礼」
「うん」
声をかけて、ライアを追い抜かす。ライアはいつも通りゆっくりな速度で走っていたけれども、無理をしている様子はない。このまま走り続けてくれるだろう。
俺はさらに速度を上げる。黙々と走る団子になった集団を追い抜かしていく。だんだんと息が苦しくなってくる。それでも速度は緩めない。
「リュウト?」
コチテの隣を通り過ぎる時、驚いた声が聞こえた。俺は答えなかった。正確には答える余裕がなかった。できるだけ息は保つつもりだったけれども、速めた脚の速度は俺のはいをぎゅうぎゅうと締め付けていた。それでも俺はさらにペースを速め、コチテを追い越した。黙って首を振る。ちゃんと意図が伝わって気にしないでくれるといいのだけれども。
目指す背中はまだ遠い。なんとか保っていた息が乱れる。途端に喉が焼けつくように痛み出す。諦めが頭の中をよぎる。なんでもない顔でまたペースを落とそうかと思う。それでまた一番後ろに戻って全体の様子を見ようかとも思う。
俺は、足を前に踏み出した。さっきよりもさらに少しだけ速く。
駆け抜けてきた集団に雑談はなかった。互いの様子を窺いあってはいるけれども、走る候補生たちの間を飛び交っているのは、いざという時に助けを差し伸べるための視線ではなかった。いつかこうしている間に、誰かがぼろを出さないかという疑いの視線だった。
居心地の悪い視線だった。だから、俺は文句を言う肺を無視して、走る速度をさらに上げた。
ロクオとハングラを追い越す。驚いた顔がちらりと目に入る。俺はほとんど疾走していた。息がひゅうひゅうと鳴った。心臓が破れそうなほど跳ね回っていた。脇腹と足の痛みも耐えがたいものになりつつあった。それでも俺は走った。
かすみ始めた視界の中で、だんだんとサルワの背中が大きく見えてきた。
【つづく】