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電気の消えたベッドの中で、俺はうっすらと目を開いた。
就寝前の点呼は終わり、もう寝ているべき時間だった。訓練で疲れ果てた俺の身体は今にも眠りたがっていたけれども、俺の思考は頭の中でぐるぐると駆け回り俺を眠らせてくれなかった。それで俺は寝返りを打つ振りをして、枕の下に手を伸ばした。手さぐりで見つけ出したのは、手の平に入るような小さな本だった。
寝室の明かりは消えていて暗い。俺は非常灯のかすかな光に目を凝す。小さな本に書かれた文字は、当然小さくてほとんど読めなかった。問題はない。もう何度も読み返しているので、書かれている文字は全部頭の中に入っていた。暗闇の中に辛うじて見えるイラストや写真、それに文章の形を見れば、何が書かれているか簡単に思い出すことができた。
音を立てないよう静かにページをめくるごとに、ヒーローたちの活躍の図が次々と姿を表した。
手の平の中のこの本は、本物の名鑑の記事の中で特に人気のあるものを小さな本の中にまとめたものだ。本物の名鑑を持ち込むことはできなかったので、俺は代わりにこれを持ってきたのだった。慣れ親しんだヒーローたちのイラストを見て、そこに書かれたキャプションを思い出していくうちに、次第にけば立っていた心は落ち着いていった。
――もしも俺のものがなくなるとしたら、きっとこの本だろうな。
ふいにそんな考えが頭に浮かんだ。
最近は訓練やら雑務やらの疲労で、開く時間はほとんどなかったけれども、読もうと思えばいつでも慣れ親しんだものを読めるという事実は確実に俺に余裕をもたらしてくれていた。
失せ物の傾向を見ると、なくなると持ち主が不安になるようなものがなくなっているように思える。俺の場合、それに当てはまるのはこの本だろう。
この本がなくなったらどうなる? 考えながらページをめくる。俺は不機嫌になるだろうか。そんなことで空気を悪くしている場合ではないだろう。そう思う。でも、同時に本当にいつもの調子を保てるかどうかは自信がなかった。物をなくした他の班員が疑心暗鬼に取りつかれているように、俺も周りを疑いの目で見てしまうかもしれない。そうしてしまう自分自身を、俺は容易に想像することができてしまった。
それでも、とジジクの言葉を思い出す。奴の言葉の通り、物をなくしたことで調子を損なうなんて、ヒーローとしてふさわしい振る舞いだとは思えなかった。
『いつでもヒーローであろうと思っています』
不意に言葉が目に飛び込んできた。ページをめくる手が止まる。見出しの文字で大きく印刷されているのは、Mr.ウーンズの言葉だった。たしか日々心がけていることを聞かれた時の答えだ。
『活動をしているときだけでなく、そうでなくて普通に生活をしているときも、常に自分がヒーローであることを意識して活動している』といった内容だったはずだ。
豆本のページからMr.ウーンズの微笑みが俺を見つめてきていた。Mr.ウーンズは常にヒーローだった。俺はMr.ウーンズ本人に会った時のことを思い出していた。戦っているときも、そうでないときも、ずっとヒーロー然とした態度を保ち続けていた。敵に対しては苛烈で、守るべき俺たちに対しては優しく穏やかな微笑みを崩さなかった。
もしも、Mr.ウーンズなら今の状況にどうしていただろう。そんなことを考える。
少なくとも動揺はしなていない気がした。あの笑顔を浮かべてなんとか解決しようとする気がした。例えなくなったものが自分の大切なものであったとしてもだ。
改めて、考える。俺はどうするべきだ? 豆本のMr.ウーンズが微笑む。俺は顔を顰める。どうするべきかは明白だった。できるかどうかは不明だが。俺は豆本を枕の下にしまい、頭から布団をかぶった。息苦しい暗闇に包まれる。暗闇の中で俺は口角を上げてみた。目の奥に焼き付いた微笑みをなぞるように。
頬が攣りそうになる。こわばった頬を緩める。上手くマネできている気はちっともしなかった。
【つづく】