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俺は倉庫の内側から閉めた。鍵はがちゃりと重たい音を立てた。カシュウが振り向いて尋ねる。その目には驚きと恐怖の色が見えた。
「どうしたの? 班長」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってな」
俺はカシュウを警戒させない程度に押さえた声で答えた。倉庫の扉はそれなりに分厚いが、大きな声を出せば外に漏れる程度には薄い。これから話す会話は万が一にも誰かに聞かれたくはなかった。
「なに?」
カシュウは首を傾げた。分厚い眼鏡の向こうには、いつもの温和な微笑み。けれども、さっきの模擬戦で見せたヤカイへの獰猛な一撃を思い出すと、その微笑みは見た目どおりの感情を表しているのでは無いようにも思えた。
俺はできるだけ表情を変えないよう意識しながら、少し間を開けた。カシュウの様子は変わらなかった。疑問をはらんだ笑顔だった。俺は慎重に口を開く。
「ヒーローチェスの駒、なくなったな」
「……そうだねえ、困っちゃうよね」
カシュウの全身が、顔がかすかにこわばった、ように思えた。答えの前にわずかな間があった、ようにも思えた。俺は気がつかないふりをした。
「まったく、困ったもんだよ。今度あの駒使って、ジジクをへこませてやろうと思ってたのに」
「そうなんだ」
カシュウの目が宙を泳ぐ。
「何か知らないか?」
「何もしらないよ」
水を向ける。今度返ってきた相槌は不自然なほどに早いものだった。俺は再び気がつかないふりをして続けた。
「そうか、知らないか」
「うん、ぜんぜん、まったく、知らない。本当に残念だよね。困ったもんだよ」
カシュウは早口でまくし立てる。ヤカイの言葉は本当だったらしい。酷く動揺している。カシュウが犯人だったのかどうかは解らないが、何か関係しているのは確かだった。
俺はどっかりと扉にもたれかかってカシュウの目を睨みつけた。頭の中にオニルの顔を思い浮かべる。少しでもあの恐ろしい顔を再現できていえばいいと考えながら。
「一昨日の就寝時間前の点呼、随分ぎりぎりだったよな」
ひくり、と眼鏡ごしにカシュウの目が神経質そうに見開かれた。
「ああ、食堂のじいさんに鍋も洗ってほしいって頼まれてさ、思ったより時間がかかっちまったもんだから」
「そいつは、ご苦労さん。ところでよ」
俺は頷き、言葉を続ける。カシュウの表情の変化を見逃さないように、目に神経を集中させる。
「あの日、談話室のヒーローチェスの棚の辺りで、お前が何かをしてるのを見たって話があるんだが」
「……そうなんだ」
答えが発せられるまで、いくぶん時間があった。カシュウは俺の目を覗くように見ながら言った。
「もしかしてヤカイ?」
「それは言えないな」
カシュウは問い、俺は首を振った。カシュウは眉根を寄せて唸った。
「もしも、お前が大駒のありかを知っているなら、教えてほしい。そうしたらこれ以上追及はしないし、情報提供者にも上手いこと言っておく」
カシュウは黙り込んだ。
長い沈黙になった。俺はただカシュウの言葉を待ち続けた。
その間に、カシュウの顔は青くなり、赤くなり、そして最後は観念したように白くなった。
「食堂の食器棚、三番コップの一番奥の山」
カシュウが小さく呟いた。
「そこに?」
「誰かが盗んでいなければ」
「なぜ?」
「これ以上の追及はしないんじゃなかったのか?」
口をへの字に曲げ、カシュウは言った。俺は肩を竦めた。
「ああ、そうだったな。でも……」
様子をうかがってから言葉を続ける。
「何か言いたいことがあるなら、言ってくれよ」
それは取り調べのための言葉ではなかった。カシュウの顔があまりにも深刻な表情をしていたから、思わず付け加えた言葉だった。
カシュウは何も答えなかった。口を閉ざしたまま、ゆっくりと首を振った。
【つづく】