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サルワの薬の喪失はそれから始まる厄介ごとラッシュの始まりに過ぎなかった。
それを皮切りに、俺の班はひたすらに大量のトラブルに見舞われた。と言っても、致命的なほど重大なものがあったわけじゃない。それぞれのトラブルは比較的ささやかなものだった。
まずは物の紛失が相次いだ。私物箱の中身が消えることはなかったが、それ以外のものがぽつりぽつりとなくなったという報告がされた。支給品の石鹸やがなくなっていると言い出す班員がいた。最初はそいつの(名誉のために名前は伏せる)そそっかしさのせいだと思われた。
「でも、俺はちゃんとしまったんだけどな」
コチテは俺に石鹸を返しながら言った。それだけじゃなかった。次にライアの歯磨き粉がなくなった。ライアはぼんやりした奴だけれども、整理整頓だけはきっちりとやるやつだった。
それから、談話室のヒーローチェスの大駒がいくつかなくなった。ないと試合が成立しないような駒じゃなかった。でも、それがないといくつかの戦術が立てられなくなるようなタイプの駒だった。それで、ハングラはようやく習得した戦術を諦めないといけなくなった。ハングラは上向きかけていたサルワとの戦績が露骨に悪化して、非常に機嫌が悪くなった。
この頃になって、ようやく誰かが盗んでいるではないかという疑惑が立った。疑惑はあくまで疑惑に過ぎなかった。そんな証拠はなかったし、もちろん誰がやったかわかるような手がかりもなかった。ただ、疑惑だけがあった。暗い疑惑はじわじわと班の空気をむしばんでいった。
自由時間の談話室での雑談は減った。談話室に顔を出す人数がそもそも減った。ほとんどの候補生が、自分のベッドに引き篭もり、私物箱を枕にして自由時間を過ごすようになった。時折かわされる会話も最低限の連絡事項を伝え合うものだけになった。代わりに誰かが動くたびに疑念と警戒の滲む視線が飛び交った。
訓練の途中で誰かが倒れても、助けるやつはいなくなった。倒れたやつは捨て置かれ、オニルがあきれ果て、助けるように怒鳴るまで床に転がったままになった。
そんな時に倒れたやつを医務室に運ぶのは、班長である俺の役目だった。
ちょうど今、そうしているように。今日運ぶ事になったのが小柄なヤカイだったのは幸いだった。ライアを一人で運ばないといけないときは最悪だった。あの時はこの廊下が無限に続くように思えたものだ。
「大丈夫か」
隣のヤカイに尋ねる。ううん、とヤカイは唸り声で答えた。
ヤカイは今日の模擬格闘訓練で、カシュウから痛烈な一撃を貰って意識を失ったのだった。いままで温厚だったカシュウがあれほど容赦のない攻撃をするとは誰も思っていなかった。ヤカイも含めて、だ。
「くそ、カシュウのやつめ」
もごもごとヤカイが呟いた。痛みと憎しみを堪えている声だった。
「まあ、落ち着けよ」
俺は覚束ない足取りのヤカイを支えながら宥めた。
「なんかカシュウ、やけに気合入ってたな」
「知るかよ、あの野郎め」
怒りのこもった様子でヤカイは吐き捨てた。不思議に思う。確かにカシュウの一撃は模擬格闘訓練にしては強すぎる一撃だったが、ヤカイの怒り様は少し度を越しているように思えた。訓練で一撃殴った貰ったはお互い様だし、そこまで恨みを残すような事ではない。
「くそが、あの野郎め、次の試合じゃあ……」
「なんか、あったのか?」
悪態を唱え続けるヤカイに俺は尋ねた。ヤカイは一瞬黙った。けれども、すぐに憤懣やるかたなしという風に口を開いた。
「なあ、班長、他には言わないでくれよ?」
【つづく】