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「もちろん、知ってるけどよ。第二シーズンの三作目だろ」
「ああ、それだよ。それ」
怪訝な顔で答えるサルワに俺は頷いて見せる。
「今の状況って、あの話のとまるでそっくりじゃねえか?」
「そうか?」
サルワは首をかしげる。それにつられて斧がゆっくりと傾き、サルワは慌てて斧を持ち直した。俺は頷いてから言葉を続ける。
「そうだろ。だって、あの話って任務で失敗を続けるスローイング・ゴリラが主人公だっただろ?」
「ああ、そうだけど」
スローイング・ゴリラはフライング・エイプの相棒の一人だ。いつもは冷静で意地っ張りなスローイング・ゴリラがどうしたことか、任務で失敗を続けてしまう、というのがフライング・エイプの活劇、第二シーズンの三作目『フライング・エイプの友情大作戦』の内容だ。
「なんでスローイング・ゴリラが任務で下手をこきつづけたかもわかるよな」
「そりゃあ、覚えてるけどよ」
サルワは目をそらしながら呟く。
「なんでだった?」
「……悩み事があったから」
「だろ?」
俺は頷いて見せる。スローイング・ゴリラは悩んでいた。その悩みのせいで任務に集中できず、失敗を重ねていたのだ。
「じゃあ、お前がどうするべきかはわかるよな」
サルワはしばらく何も言わずに考え込んだ。俺は言葉を付け加えた。
「悩みがあるなら、どんなことでもいい、言ってほしい」
その言葉は活劇の言葉だった。活劇の中のフライング・エイプの言葉だった。それだけを言って俺はサルワの返事を待った。サルワはまだ何も言わなかった。 活劇の中でスローイング・ゴリラはフライング・エイプに悩みを打ち明けた。そしてそのおかげでスローイング・ゴリラの悩みは解決し、無事に任務をこなせるようになった。
俺はサルワは口を開いてくれるだろうと思った。活劇と同じように悩みを打ち明けてくれるだろうと思った。
けれども、サルワは首を振った。
「いや、たいしたことじゃないんだ」
「そうか」
俺は落胆する気持ちを隠して頷いた。
「俺はスローイング・ゴリラじゃない。悪いけどな」
ぽつり、とサルワは言った。俺の気持ちは急速にしぼんだ。ヘマを打ったと思った。サルワはスローイング・ゴリラじゃないし、俺だってフライング・エイプじゃない。当たり前だ。俺もサルワも活劇の中のヒーローじゃない。俺の中に活劇で出てきた状況と言葉をなぞる興奮があった。それに気がつく。その気持ちをしぶしぶ認識する。あまり認めたくはない感情だったけれども。
「ああ、こっちこそ悪かった」
「いや」
サルワは短く答え、再び黙った。俺は小さくため息をついた。サルワの口は固く閉じられていた。これ以上追及しても、何も言ってくれそうにはなかった。
「悪かったよ」
俺はもう一度繰り返す。斧を掲げなおす。なんどこの罰を受けても腕の痛みには慣れない。サルワも斧を持ち直した。まっすぐな斧をまっすぐに掲げている。けれどもその顔はどこか不安そうな表情のままだった。
それで、俺はもう一度口を開いた。
「なあ、サルワ」
サルワは黙って俺を見た。俺は考えながら言葉を紡ぐ。
「でもよ、友情大作戦とかは、まあいいし、お前がヘマするのは……まあ、班長としては勘弁してほしいんだけどよ」
余計なことを言いかけて、頭を振る。幸いサルワはまだ俺の言葉に耳を傾けていた。
「いや、そうじゃなくて、せっかく同じ班になったんだからよ……その、悩み事があるなら、相談してくれても大丈夫だぜ。言えることならさ」
「……ありがとう」
サルワは低く呟いた。また沈黙があった。俺はまたヘマをした気がした。頓珍漢なことを行ってしまった気がした。ごまかそうと何か別のことを言おうと口を開く。
「あの……班長」
でもその瞬間、サルワが口を開いた。俺は顔を上げる。サルワは床に目を落としていた。うつむいたままもごもごと口の中で言葉を転がしていた。俺は細い糸を手繰るように慎重に尋ねる。
「どうした?」
「実は……だな」
「ああ」
サルワは相変わらず、言いにくそうにしながらも言った。
「薬が、なくなったんだ」
【つづく】