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「どうしたんだ? こんなところで」
俺は意識してゆっくりと息を吸い、平静な声を装って問いかけた。成功しているかについては自信がなかった。
「ああ、たいしたことではないんですよ」
ジジクはゆっくりと首を振った。やけに思わせぶりな態度なように思えた。
「ちょっと、教官に呼び出されましてね」
「なにをやったんだ?」
「それが皆目見当もつきませんで。今のところドジを踏んだ記憶はないんですがね」
そう言ってジジクはうんざりした調子で肩をすくめて続ける。
「どっかのアホウのヘマを勘違いして押し付けられるのでなけりゃいいのですけれども」
「オニルに限ってそんなバカな真似はしないさ」
「だといいんですがね」
ジジクは大きなため息をついて、高慢な調子で顔を顰めた。心の底から自分に非がある可能性を考えていない様子だった。
実際、ジジクは自分で言う通り、ドジを踏んではいなかった。実技も学科も必ずトップというわけではないけれども、最下位を取ることはなかった。オニルたちのどんな命令にも素直に従っていた。口答えすることもない。
だから、確かにジジクがオニルに呼び出された理由はすぐには思いつかなかった。まさか、他の班員たちの神経を逆なでする言動をオニルが注意するとも思えない。
「まあ、適当に上手くやりますよ」
「ああ、そうしな」
俺はこいつがこっぴどく叱られればよいという願望が表に出ないように気をつけながら頷いた。そろそろ話を切り上げたいところだった。今のところ俺がオニルと話した内容について話題は向きそうになかった。追及される前に話を終わらせたかった。
「なんにせよ、急いだほうがいいんじゃないか? あんまり待たせると機嫌悪くなるぜ」
「おお、それもそうですね。ご忠告痛み入ります」
がんばれよ、とジジクの大仰な言葉を受け流し俺は歩き始める。
「ところで」
ジジクの側を通り過ぎようとしたときに、ジジクは唐突に言った。俺の脚が止まる。
「班長殿は一体どのようなお話を?」
ジジクの言葉は、どこかねっとりと絡みつくような調子があるように思えた。
「別に、たいしたことじゃないさ」
俺は言った。平静な声を出せているだろうか。ジジクの視線を感じる。その細い目から発せられる視線は、脇腹の辺りに向けられているように、感じる。ホルスターに入れられたブラスター銃がズシリと重たくなる。気のせいだ、と自分に言い聞かせる。ホルスターは目立たないように取り付けられている。かなり意識して普段と変わらない声を作ろうとしながら口を開く。
「明日の訓練について打ち合わせをな」
「なるほど」
「なかなか激しいものになりそうだぞ、覚悟しておけ」
「おお! それは恐ろしい!」
ジジクは自分の身体を抱きしめて、大きく体を震わせた。
「ならば、あまり待たせてオニルの機嫌を損ねるのは愚策ですな。失礼します」
「あ、ああ。上手くやれよ」
ひらりと、手を振ってジジクはオニルの部屋へと歩き出す。
その背中を見送って、俺はふう、大きく息をついた。ぐっと胸を抑える。心臓はじくじくと痛み続けていた。痛みは脇腹のホルスターから沁み出していた。もう一度、ため息をつく。銃の重みにはまだ慣れない。
ジジクの視線を思い出す。あの細い目から発せられる視線が未だに身体に絡みついているような気がした。
「早いとこ、なれねえとな」
俺はそう独り言ちて、トイレに向かって足を踏み出した。
【つづく】