103
「マジ……なのかよ」
サルワの顔が驚愕に歪む。視線が談話室をさまよい、コチテを見つけて止まる。コチテは隅の方の椅子に座り、ナリナと話し込んでいる。コチテの人懐っこいしつこさは、ナリナの剣呑な不機嫌さの壁さえも貫通し、時折ああして話し込めるくらいの関係を作り出していた。
俺はサルワに顔を寄せ、小声で続けた。
「学校に可愛い女の子がいてよ、頭もよかったし、上級学習院に進むことも決まってたんだけど、どういうことだかヒーローになるって言い出してよ」
「そんな奴いるのかよ」
「いるんだよな。で、その後を追ってコチテも上級学習院を蹴ってここに来たってわけ」
「はあー」
理解できない、とい言いたげにサルワはゆっくりと首を振った。俺は黙って頷いた。サルワの気持ちは理解できる。改めて自分で説明しても、コチテの考えは理解できなかった。
「てことはよ」
なにかを思いついたのか、サルワは一際声を落として俺に顔を寄せて囁き、尋ねる。
「そんなに可愛い子だったのか? その娘」
「まあな」
俺は頷く。問われて、思考が一瞬止まる。フーカのことを思い出す。まっすぐに伸びた背筋、揺れるポニーテール、いつでも冷静なあの目つき。灰のような訓練の日々に埋もれてフーカのことを思い出すのも久しぶりだった。今はどうしているのだろう。ヒーロー訓練校に出発した日以来あっていない。
「むちゃくちゃ可愛かったな」
「へえ」
見つめてくるサルワの顔がにやにや笑っているのに気がついて、俺は黙ってサルワの胸に肘撃ちをねじ込んだ。
「ぐえ」
俺の肘はサルワの分厚い胸板に軽くはじき返されたけれども、サルワは苦しそうに呻いた。あからさまに大げさなうめき声だった。俺は咳払いをして続けた。
「もう本訓練所に行ってるって話だな」
「じゃあ、ヒーローになったら俺もその娘の顔を拝めるかもしれないってわけだ」
「まあな」
俺は曖昧に頷いた。実際に自分自身の身体で訓練をしてみて、フーカが本当にヒーローになれるのかどうかは解らなかった。順調に訓練を進めているのかも。もちろん身体的にも知能的にもフーカの方が俺より優れている点はたくさんある。なにより、フーカのあの熱意は俺よりももっと激しいものだ。俺の班にいる他の候補生たちと比べてもかなり強いものだろう。
でも、と頭に引っかかるのは以前ミイヤが言っていたことだ。フーカは何かに悩んでいる、と言っていた。強い動機を持っているということ自体が、フーカを悩ませていると。
悩みは解決したのだろうか。
俺の目がすい、と動く。仏頂面でコチテと話しているナリナに視線が止まる。俺の班で強烈な動機を持っているのは間違いなくナリナだ。ナリナも何か悩んだりしているのだろうか。
続いて頭に浮かんだのは、訓練初日のオニルの言葉だった。オニルは「覚悟を叩きなおす」と言っていた。それでナリナも痛めつけられた。オニルは言葉の通りに常に俺たちに理不尽を叩きつけ続けた。不可能に近い命令、それを達成できなかった時のひどい体罰。たしかに生半可な覚悟ではオニルに従い続けることはできないだろう。
でも、それがオニルの――あるいは予備訓練所の本当の目的なのだろうか?
「なんか、えらく考え込んでるな。やっぱりリュウト班長もその娘に……」
「ちげえよ」
サルワはなおもにやにや笑いながら言った。俺は再びサルワに肘を叩きこもうとしたけれども、今度はさっと躱された。
「何度もくらいはしねえよ」
「なあ、サルワ」
得意げなサルワの声を無視して俺は問いかける。
「予備訓練所の目的ってなんなんだと思う?」
【つづく】