第十九話 浸食
ジョンソン・グラヴィス。
調査対象であるグラヴィス邸の所有者で、ただ一人の住人。
数年前から定期的に大量の家畜を買い付けているものの、
グラヴィス邸周囲に飼育、加工する施設はない。
というかなんにもない。
枯れた樹木に異臭を放つ湿地。
屋敷を囲む柵は朽ち、倒れた門扉の赤錆が、土に血のような
染みを作っている。
そして何より、グラヴィス邸の外観。
無計画に増築され、崖に寄り掛かるように傾いた縦長の屋敷に
窓はほとんどなかった。
「住人の高慢と歪んだ心を体現したっていうなら、
この屋敷をデザインした人は天才だね」
「屋敷の外観で住人の性質がわかるんですか?
すごい、聞いたこともない魔術です」
「あ、いや、ジョークというか皮肉というか……」
「ジョークでどうやって住人の性質を?」
だんだんわかってきた。
ノエルさんは魔術オタ。
魔術脳になると他が見えない。
「ええ……と、オーロラさん、
中を見てくるって言ってたけど、一人で大丈夫?」
「オーロラでいいですよ。私はノエルと」
「じゃあ私もクルスで。
気になってたんだけど、オーロラって呪詛持ちじゃないよね?」
「はい、魔力もありません」
「なのに特務隊の隊長?」
「理由ならありますよ。お教えすることはできませんが」
「ですよね~~」
まずオーロラ、ノエル、私の三人で
グラヴィス邸を調査しに来てる。
残りの人たちは集落で聞き込み。
最近、おかしなことはなかったか聞くんだけど……
おかしなことしかないだろ。
「オト、小雨でも身体冷えるよ、こっちおいで」
オトはおっきなカエル見つけて、
飛び跳ねさせて遊んでたんだけど、呼んだらすぐに来た。
その棒、捨てて。
「まだなかにはいっちゃダメ?」
「ダーメ。オーロラが戻るまで待つって約束したでしょ」
「むう、オーロラはたいちょーだから
いちばんにたんけんさせてもらえるの?」
「オトが安全に探検できるように調べてくれてるの」
「ヘンなにおいしないよ?」
「危ないのはそれだけじゃないんだよ~」
オトの雨よけを脱がせて雨水を払い落とす。
私たちは玄関前の大きく張り出した庇の下にいる。
最初にあった屋根が増築で外側にずれたみたいな。
「オトは異界の匂いを感じるんですか?」
「まあね、異界の蜘蛛にも真っ先に気づいた。
風とかにはあまり反応しないけど」
「そっか、オトはえらいね」
ノエルに頭撫でられて、う~ってなってる。
嬉しいの、う~、だねこれは。
「ノエル、それ、なにたべてる?」
「こらオト、卑しいよ」
「薬みたいなものですよ。魔力が安定しないとき、
これを食べるんです。食べる? おいしくないけど」
ちょっと大きめのレーズンみたいなの。
灰色っぽくて……うん、絶対おいしくないわ。
オト、いくんだ? チャレンジャー。
「あははは、あんたすごい顔になってるよ」
「マズい。すっぱくてにがい。ノエル、これはもうやめとけ?
ぜったいからだによくない」
「そうだねえ、私もこれ嫌い。オトは何が好き?」
「パン。スケベがつくったやつ」
「……気にしないで、シナモンロールのこと」
「最近は柔らかいパンも増えましたよね。おいしいです。
私はフランが好きかな」
「なにそれ?」
「カスタードクリームのタルト……かな。
あ、わかんないって顔してますね。ユースフ・ユシフに戻ったら
食べさせてあげるよ、リンゴの乗ったフラン」
「いますぐもどろう!」
「おい待て~、どこ行く気だ~」
「とめるなクルス、オトはいく」
「決死の覚悟かよ。大人は仕事があるの、お菓子は仕事の後」
「おとなはしごとばっかり。ヒマなの?」
「二十年後にそれぜってえ、あんたに言ってやる」
いつの間にかオーロラが戻ってる。
腕組んで私たちを見てる。
見守ってる……目じゃないね。
「仲良く遊んでるとこ悪いけどさあ……
中の調査をお願いできますか、魔術師さんたち」
「わ、私は遊んでませんよ。
巧みな話術で二人から情報を引き出していたんです」
「ノエルに魔術以外、期待してないよ。
ほらさっさと入った入った……おっと、君はこっちだ。僕といてくれ」
「なんで? オトははいっちゃダメなの?」
「床板が腐ってたりして危ないからね。僕と手をつなごう。
二人が中にいる間、ここで見張るんだ。できる?」
「……オーロラがそういうなら」
なんかオーロラの言うことはよく聞くな。
手をつないでるのも嬉しそう。
ちょっと待って、なにその表情。
見たことないんだけど、そのうっとりフェイス。
え、噓でしょ……恋?
どうせ恋してしまうの?
ダメ! オトにはまだ早い。
「あの……クルス? これ見てください。これ、こっち!
オトはオーロラといれば大丈夫ですから!」
「ああ? それがやべえって言ってんだろが」
ノエル、ドン引き。
ほぼ正気を疑ってるね。
……しょうがないか、こんなの見せられたらね。
屋内は吹き抜け。
この世界の建築技術でよくこんな高層の吹き抜けを造ったね。
床には巨大な円形術式……魔法陣的なやつ。
それを取り囲む十三の五芒星。
床が腐っているというより、湿ってる。
湿らせてるのは、おそらく人と動物の混ざった血液。
床下から湧いてきてるみたいに、強く踏むと染み出してくる。
二人ともすぐに口も鼻も覆ったけど、鼻と目の奥に残るひどい匂い。
お風呂にも入れないのに、身体につくと取れないよ、これ。
「オーロラ、オトを絶対に中に入れないでね。
たぶんここ、浸食されてる」
「あれ? 呼び捨て解禁?
ノエルが許可したならいいけど。浸食ってことは異界が出てきてる?」
「今のところは物質の変化かな。
原子……最小単位からの変化。この世のものではなくなってるね」
「この構造で倒壊しないのも、そのせいですね。
さすがに上部は歪んでますけど。妙に意図的ですね……」
「私たちも長居はしないほうがいい。手早く見て回ろう」
私とノエルは円形術式の外縁に沿って、
それぞれ逆方向から回っていく。
テーブルや床に散乱した手書きのメモ。
溶けた蝋で覆われてしまった燭台。
錆びたナイフ。
隅に積まれた引き裂かれた衣服。
散らばってるのはアクセサリーかと思ったら、
人の歯や爪でした。
見れば見るほど何があったか想像したくない。
「炭……ですね」
ノエルが五芒星を指で擦ってる。
火で五芒星を描いた痕跡だ。
「上見て。螺旋階段で行ける上階に部屋がある。
一階につき一部屋。それが十三。
それぞれ五芒星の位置に合わせてあるね」
ノエルは黙ってうなずく。
彼女もたぶん答えにたどり着いている。
「炎の五芒星。上から雨のように降り注ぐ悲鳴と血。
異界の神への挨拶としては充分でしょうか」
「知識としてはあったけど、
この規模の立体術式は見たことないなあ」
「何か呼び出せたと思いますか?」
「何かって?」
私たちは半周してきて合流する。
ノエルは私の目をじっと見つめ、
オーロラに聞かせたくないみたいに入り口に背を向けた。
「本体を呼び出したでしょうか?」
「さあね。術式がどうだろうと結局は向こうの気分次第。
向こうから来ることもあれば、
百万人捧げても見向きもされないことだってある。
けど、本体が出てればここら一帯どころか、
ユースフ・ユシフだって無事じゃすまないんじゃない?」
「どうなると?」
「範囲内にいる人間は発狂、あるいは死。
やったんでしょ? アンセルが」
「クルス……あなた本当に何者ですか?
導師や一部の一級魔術師しか知らないことですよ」
「ノエルだって知ってる」
「私はその一部の一級魔術師です」
「大変よね。妖精騎士団員だからって全部の情報を
共有していいわけじゃない」
ノエルには皮肉に聞こえたみたい。
鉄も曲げるような目で睨まれた。
ゴメンね。
ただちょっと窮屈そうだなって思ったから。
魔法少女はこうじゃなきゃいけない、て自分を勝手に縛ってた、
あの頃の私みたいだったから。
「一度出る? 空気が悪くなってきた」
「そうですね、だいぶ悪くなりました」
そういう意味で言ったんじゃないんだけど。
明らかに怒ってる感じで先に行っちゃった。
いや待って、一人にしないで。
外に出たらやたら空気がおいしく感じた。
オトの渡してくれた水もおいしい。
オーロラが報告は? て顔してる。
私がノエルを見ると、
彼女は機嫌が悪そうに目を背けて何も言わない。
子供かよ。
「えっと、ノエル? まず君の意見を聞かせてくれないか?」
「クルスに聞けばいい。
彼女はいろいろ物知りなようですからね。私よりも」
オーロラの目線が痛い。
面目ない。
地雷踏んじゃったみたいです。
オーロラが肩をすくめ、ちょいちょいとオトをつつく。
オトは私たちを順番に見て、すぐにハッと気づく。
大人の感情に敏感なんだ、子供。
オトはノエルの手を取って私の手も取る。
「ケンカしたらね、まずおたがいのめをみてあやまるんだよ。
ね、クルス?」
うう、ズルい。
ノエルもズルいって顔してる。
「別にケンカしてなんか……」
「ならあんしんだ。ほら、えがおはどうした?」
オトハラだ……
ノエルが仕方なくこっち見てる。
そもそも私は怒ってないからいいけど。
後でちゃんと話そう。
「じゃ、つまらない感情的な行き違いもなさそうだし、
お二人の意見をそれぞれ聞かせてもらっても?」
うん、意外とというか見た目通りというか、
性格悪いわ、オーロラ。
「別々に聞くまでもない。
クルスと私の意見は同じですよ。そうでしょう?」
「だね。せーの──」
「『門の守護者』」
同時に言った。
息ぴったりでオトが喜んでる。
その名前を連呼すんな。
大きすぎてそうそうこっちには来られないだろうけど、
何かが蠢いてる気配がするんだよ。
あの屋敷の下で。
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