第十一話 祈り
リーナさんが足を引きずりながら斜面を駆け下りようとしてて、
羽交い絞めにして止めないといけなかった。
転落防止柵なんてない。
踏み外せば一瞬で滑落だ。
それと同時にオトにも助けが必要。
目の前で起こっているのがなんなのか、
明確には理解できてない。
でもだからこそ、この凶暴な空気に未知への恐怖が加わる。
硬直して動けなくなってる。
「オト、こっちに来て。
火のほうを見てはダメ。私を見て」
リーナさんが私をオトのほうへ押してくれる。
自分は大丈夫だとうなずきながら。
オトの頭を抱いて視界を塞ぎ、耳元で大丈夫だよ、
私がいるよと囁き続けた。
リーナさんが私たち二人を火から守るように覆いかぶさる。
私よりずっと小さいのに、腕だって広くないのに、
壁の後ろに避難できたみたいに、安心できた。
「何が……いったい何が起こってるんだい?」
「以前よりアンセル様が魔女の兵器運用を
研究していると追及されていて、
アンセル様はずっと査察を拒んでいました」
「知ってるよ。あの双子だろ?
でもそんなの言いがかりさ。
アンセル様がそんなことするわけがない」
「証拠が見つかったら?」
「ないもんがどうやって見つかるのさ」
「ないなら作ればいい。
あの双子なら考えそうなことでしょう」
「そんなことで侵攻したっていうのかい?
こんな突然に? 許されないよ。
こんなこと、絶対に許されちゃいけないよ」
「こわい。クルス、こわい、こわい」
「ああ、ごめんねオト。こんな話やめるね。
リーナさん、逃げましょう。
ティタニアはずっと中立を貫いています。
彼女の管轄地域に入れば安全ですから」
リーナさんは逃げる道と戻る道、
両方を交互に見ただけだった。
それなのになぜだか、彼女が静かに首を振ったみたいに見えた。
「息子がまだ来てない。きっとまだあの中にいるんだ。
迎えに……そう、迎えにいってやらなくちゃ」
ああ、そうか……
だからこの人は丘を下ったんだ。
「無理なお願いなのはわかってる。でも丘の下まででいい。
そこまでいけば誰か避難してきてるはずだから、
どうかそこまで、私を連れてっておくれ」
「クルス、いくの?」
オトが不安そうに私の顔を見上げる。
どっちの不安かな?
一緒に行くこと?
それともリーナさんを見捨てること?
バカだな私。自分の迷いをオトの目に映さないで。
「オト、私を信じる?
困ってる人を助けるクルスを信じてくれる?」
オトは熱気を振り払うほどの明るい笑顔でうなずく。
「いい子。リーナさん、荷物はここに置いていきます。
何があっても私の言われた通りに。約束できますか?」
「雰囲気が変わったね。魔法使いどころか大魔導士だ」
「ただの魔法少女です」
「ドリル」
オトと私の秘密の合図。
意味わかんなくても一緒に笑うリーナさん。
笑顔は無敵。今はそう信じよう。
リーナさんは私の腕につかまって自分で歩いた。
足が痛いだろうに、歩調を合わせて。
それだけ心配なんだ。
痛みが祈りなんだ。
「ねえ、クルスちゃん。この戦争、どうなると思う?」
「ティタニアがアンセル様につけば、あの双子でも押し返される。
なんせティタニアは教主の中で唯一、
教皇を名乗ることを許されてますからね」
「つかなければ?」
「厳しいですね。一年もつかどうか……」
「冷静だね。故郷をぼんぼか燃やされてる人間の前でさ」
「すみません。性分です」
「いいよ、わかってる。アンセル様は戦いを嫌う。
常備軍だって毎年縮小してきた。その予算を民にってね……」
「でもだからこそみんなから尊敬された」
「うん、そうだね。あんた、いいこと言うよ」
話してるほうがきっと楽なのだろう。
リーナさんはずっとアンセル様を褒め称えてた。
口から出そうになる恨み言を、そうやって誤魔化してた。
彼女の光が闇に飲まれようとしている。
丘自体が燃えているように足元から熱がのぼってきた。
オトの熱中症に気を付けないと。
ああ、でも、そんな余裕ないかも。
「リーナさん、オト、どこでもいいから私の身体につかまって。
私がいいって言うまで絶対放さないで」
「どういうことだい? 何か来るのかい?
何も見えないよ、風だけだ。風だけしか感じない」
リーナさんは喚きながらも私の肩に、
オトは目をギュッと閉じて足にしがみついた。
う~ん、オトはそこかぁ~
歩きにくいぞ♪
私は両手をしっかり組み合わせ胸の前に。
目線はやや下げて、呼吸は細く、長く。
さあ、行こう。
「天空の神ミトラよ。石のごとく固い空より
清廉なる心のごとき風、吹き渡らせたまえ。
嬰児を迷わす悪しき風、吹き払いたまえ」
足元から上る熱が作る陽炎のように、
揺らめく空気の向こうから彼らが現れる。
オトと同じ、呪いで身体が変異した人々。
青ざめた肌や角のようにねじくれた髪。
尖った耳、やたらと長い腕。
そのほとんどが見た目だけの変異。
外形呪詛だ。
魔力もなく、抵抗もできず、逃げまどった。
「アーロン、イクシー、ケイン、
無事だったのかい? あの子はどこ?
誰か見てないかい? どうして何も……」
「リーナさん! 目を合わせてはダメ。
向こうの時間に引きずり込まれます」
「時間? 時間って……」
装備も統一されていない、
兵士とは呼べないような男たちが剣で切りかかってくる。
「唱和して。
泉のように透き通った心。
寂しさにくじけぬ心。
惜しみなく自己を与える心」
祈りっていうのは信仰じゃない。
私は頭から剣を受けてもまばたきさえしない。
胆力だ。
祈りは心を固める魔法だ。
剣を持った男は私を突き抜けて別の誰かを追っていく。
「おおらかで強い心。愛に渇き、愛を求める心」
オトとリーナさんも叫ぶように唱和した。
強い風にバラバラに引きちぎられて、
周囲で背中を切られる人々の悲鳴に紛れた。
足首を矢で貫かれた女性を見たときが危なかった。
つい目で追ってしまって、
自分の足首にも貫かれたような痛みを感じる。
オトがしがみついていてくれたから、それが支えになった。
いつもそうだ。
私はオトを守り、オトに守られる。
「二人とも、最後の祈りだよ。
契約の櫃。
天の門。
太祖の元后。
私たちがあなた方の約束にふさわしいものとなりますように」
私たちの向かいから熱を浴びせる風。
それに逆らうように背後から突風が吹き抜ける。
背中を押されて前に踏み出すと、
身体に纏わりついていた熱い泥のような空気が剥がれ落ちる。
冷たいけど穏やかな風に頬を撫でられ、
もういいよと言われた気がして顔を上げた。
「私たち、ずっとここにいた……?」
「今のはなんだったんだい?
みんなはどこにいった?」
雷に打たれたようにねじ曲がった枝に視界を遮られて見通しが悪い。
でも、ここは確かに丘の上だ。
一歩も動いていない。
「そら、はれたね。
けむりのにおい、もうしないよ?」
「そうだね。
オト、苦しいとか暑いとか寒いとかない?
何もないのに身体が震えるとか」
「オトはげんきだ。リーナさんは?」
「ああ、大丈夫だよ。ねえ、クルスちゃん
私たちはどうしちまったんだい?
幻覚でも見たのか、それとももう私たち……」
「異界の風です。先日の赤い月の日から、
各地で影響が出ているようなんです」
「そんなの初めて聞いたよ。あれかい?
魔術師にしか知らされないやつか」
「そんなとこです。混乱を広げたくないので」
「どうりで落ち着いてるわけだ。おかげで助かったよ。
あれは幻ってことなんだよね?」
「その認識で問題ありません」
「やっぱりあんた、錬金術師だろ」
笑ってくれた。
こんなに感情豊かで記憶の整合性もあるのにな。
オトが持ってきてくれたリュックを受け取り、
背負いながら丘からの景色を記憶と比べる。
宿場町の位置はだいぶ変わってる。
「どうします? 一緒に下りますか?」
「いや、何事もなかったなら息子を待つよ。
もう異界の風ってのはやんだんだろ?」
「そうですね。大丈夫だと思います」
「……にしても恐ろしい幻だったねえ。
妙に現実味があってさ。
でも、そんな中でも息子がどうにかなってるのは見なかった。
しぶとい子だよ。幻の中でもきっと無事だね」
「リーナさんも」
「ハハハ、ワイルズっていうんだ、私の宿。
息子の名前をつけちまった。親バカだろ?
後で行くからさ、ぜひ泊まってっておくれよ」
私は首を振ってせいいっぱい明るく微笑む。
これ以上リーナさんに悲しい思いはさせたくない。
「リーナさん、約束を増やさないほうがいい。
息子さんとの約束を忘れちゃうからね」
リーナさんは靄がかかったような目でぼんやりと私を見つめた。
怯えたオトが私の手を握りしめるくらいの……
長い長い、数秒間。
それから彼女は簡単にうなずく。
「そうだね、クルスちゃんの言うとおりだ」
「うん、それがいいよ。じゃあ、私たちはもう行くね」
「バイバイ、リーナさん」
オトに手を振り返すリーナさんの可愛くて仕方がないって顔、
とっても温かかったな。
少なくともかつてユースの地には、
オトのような外形呪詛の子供にあんな顔をする人がいたんだ。
それがわかってうれしい。
ユースの地に来たのは間違いじゃない。
そう思いながら歩いていると、
名残惜しそうに振り返ったオトが私の袖を引く。
オトの指した先には大きな石が積み重ねられていて、
彼女の息子は約束を守ったのだと、
彼女のための墓標なのだと、
そう願わずにはいられなかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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