92 何億年でも(2)
「だからイリスは、ここで待つ事をやめないのです」
「イリス……」
人間が、寂しそうな顔をする。
イリスは上手く話せたのだろうか。マスター以外の人と喋るのなんて、初めての事だから。
「マスターは、教えてくれたんです」
マスターは、イリスに話す時、いつだって笑っていた。
「土に埋もれたものが、数万年の後、石になって出てくる事があるんだって。だから……、だから、イリスは何万年だって、何億年だって、ここで待てるんです。待っています。いつかマスターが、イリスみたいな石になって、帰ってくる事だって、あるかもしれないから」
目の前の人間達の顔は、なんだか優しくなった。
ああ、マスター。
いつだってこの心は、あなたの事を考えているのに、今日は特別鮮明に、あなたの事を思い描いてしまうのです。
思い出してしまう。
会いたくなってしまう。
心が痛くなる事なんて、知る事はないと思っていたのに。
マスター。これが、泣きたいという気持ちなんですね。
「マスター…………」
イリスは遠くを眺めた。
遠く、見える範囲の全てのものを。
動いているものがある。
木陰のうさぎ、野原の花、空を行く雲、地を照らす太陽。
そのどれもが綺麗なものだけれど。
そのどれもがマスターではない。
「マスター……、どこに行ってしまったのですか。どうして帰ってこないのですか」
目の前にいる人間は、諦めた様に後ろを向いた。
そう、それでいい。
イリスにはもう構わないで。
一人でここに居たいから。
「マスター、帰ってくるって言ったじゃないですか。マスター……?」
石で出来ていてよかった。
でなければきっと、今頃みっともなく泣き叫んでいたはずだから。
誰にもわからない様に、石で出来ていてよかった。
「言ったじゃないですか、マスター。一緒に魔女を討とうって」
焦点の合わない視界の中で、その瞬間、人間達が、足を止めた。
そして、顔を見合わせ、改めてこちらを向く。
「魔女を……討つ?」
「はい。マスターはイリスと、魔法で魔女を討つためにここを拠点としたのです。もうこれ以上、連れてこられる不幸な人間が出ない様に」
戸惑う顔。
それはそうだ。
そんな事、無謀だと言うのだろう。
けれど人間は、予想外の事を言う。
「イリス、やっぱり俺達と一緒に行こう」
「何故ですか?」
「その……、俺達も魔女を追ってる。魔女を討つというなら、俺達と一緒に来ないか?道中、そのマスターの足跡を追ってもいい」
「マ、マスターの?マスターが何処へ行ったのかわかるのですか」
それは、魅力的な誘いだった。
家を振り返る。
この家を守るのは大切な事だ。
けれど。
人間が、手を差し出す。
この手を取っていいだろうか。
マスター。
ねえ、マスター。
もし何処か一人で居たなら、迎えに行くのはイリスしかいないのだ。
今ならあの怖い人間世界へ、あなたを探しに出掛けられるでしょうか。
今ならあなたを探す勇気を、振り絞ってもいいでしょうか。
「イリスは……マスターを探し出す事が出来るでしょうか」
「わからない、けど」
そこは“出来る”と言い切ってしまってもいいのに。
こういう時、人間はどんな顔をするのだろう。
おずおずと手を伸ばす。
「よろしく、お願いします」
そんなわけでヒロイン揃い踏みです。ハニトラちゃん(16歳)、マル(19歳)、イリス(85歳)どうぞよろしくね!




