91 何億年でも(1)
「イリス……。人間は……100年も……」
魔物を連れた怪しげな人間が、イリスの前で苦しそうに言う。
「それは……人間が…………死んでしまうという事ですか?」
「ああ」
「……知っていますよ。そんな事。けど、関係ないのです。イリスには」
そうだ。
イリスはただ、待ちたいのだから。
「イリスは、待っているんです。マスターを」
「…………帰ってこなくてもか?」
それは意地悪じゃないと、イリスには分かった。
心配してくれているのだ。
マスターと同じ名前で、イリスの事を呼ぶこの人間は。
「あの日は、いつもと同じ日でした」
イリスは語り出す。
この人間達に、イリスがここに居たい理由を納得してもらう為に。
その日は、冬に入る直前の、少し暖かな日だった。
「しまったなぁ」
マスターが言う。
「どうしたんですか?マスター」
マスターは、私を作った作り主。
私は、マスターが生まれた場所の、女神の姿を模して作られたのだという。
マスターは、大層イリスを可愛がってくれた。
それは親子の様に。
友人の様に。
恋人の様に。
夫婦の様に。
「冬支度に大切な物を忘れてしまっていたよ。今日、町まで行って来る。すぐ戻るよ」
町までは歩いて3時間。
まだ陽もそれほど高くはない。
今からなら十分日帰りできるはずだ。
「何をお忘れなのですか?町の外まで送りましょうか?」
「いや、いいよ」
マスターが柔らかく笑う。
マスターは、イリスが外に出るのを嫌う。
魔物でもなく、人間でもないイリスは、人間世界では危険が伴うのだ。……それはもちろん、マスターの身にも。
だから、イリスとマスターは、いつものように手を握り合う。
イリスには温かさはわからないけれど、その儀式は、大切なもののように感じていた。
「では、いってらっしゃい、マスター」
「ああ。いってくる」
それが、マスターとの最後の言葉になった。
夜、暗くなった時間、不安になって町の方まで探しに出かけた。
マスター?
どうして帰ってこないのですか?
この時期だから、夜になると寒いですよ、マスター。
町の灯がだんだん近くなると共に、不安は増した。
「マスター?」
人間の目から逃れながら、小さくマスターを呼んだ。
「マスター?どこですか、マスター?」
「誰だ!?」
知らない声が突き刺さるように聞こえて、じっと身を屈めた。
怖い。
このまま捕まってしまえば、きっと処分されて、もう二度とマスターに会えなくなってしまうだろう。
入れ違いになったかもしれないし。
家に帰ってみよう。
けれど、マスターが帰った気配はどこにもなかった。
人間であれば震えて動けなくなるようなその場面で、イリスはマスターを待つ事に決めた。
マスターの帰り着く場所を守り、いつか会える日を願って。
イリスの過去話でした〜!




