206 絶望の宴(7)
カチャン。
スプーンが、音を立てて転がった。
ユキナリの目の前には、すっかり冷めた水のようなスープがある。
幸いな事に、首都の家々は壊されたけれど、基本的に食料自体はそのままなので、市民が飢える事はない。
壊れた家から放り出され、避難している人は多かったけれど、教会に付随する施設に暮らす事が出来た。
ただ、祭りという高揚した状態からのこの絶望は落差が激しく、大切なものを亡くし、人々は打ちひしがれていた。
食欲なんてなかった。
イリスはあの日から、押し黙って言葉を発しようとしなかった。
マルは、食事を拒否しているのか、すっかり痩せ細っており、初めて会った時を彷彿とさせた。
スプーンを拾おうとして、また取り落とす。
ユキナリは食事を諦め、俯いた。
夜。
「う……っ」
眠れず。
疲れのせいで一瞬眠れても、ハニトラの夢ばかりを見た。
「うわあああああああ!!!!」
ひどい汗をかく。
目が覚めて、傍らにマルが居るのを確かめる。
そして逆側、シーツをまさぐる。
何も乗っていない。
ハニトラ?
嫌な夢を見たんだ。
ハニトラ。
いつもの笑顔で何とか言ってくれよ。
何か言ってくれよ。
ハニトラ。
天井を見上げる。
「なんで居ないんだよ」
起き上がる。
真っ暗な部屋。
ベッドの足元に、トカゲが寝ている。
……イリスはいない。
この生命感のある部屋があまりに居心地悪く、ユキナリは部屋を出た。
暗い廊下。明かり一つない。
木製の廊下は、時々ミシミシと音がした。
廊下の突き当たりの窓の下に、イリスが座り込んでいた。
「マスター…………」
小さく呟く声が聞こえた。
イリスはあの時、マスターの亡骸を一人、必死でかき集めていた。
両手いっぱいに抱えられるだけ抱えた亡骸を、宿に入れること叶わず、外に、大きな壺に収めていた。
その壺がある方角を、じっと見ているのだ。
窓の月明かりが、その姿を象るように照らしていた。
そんな姿のそばを、ユキナリは何も言わず通り過ぎようとした。
床が、ギッ……と大きな音を立てた。
ふっとイリスが顔を上げた。
石でできた顔で、表情は読めなかったけれど、久しぶりに目が合った気がした。
「ユキナリ……様」
ユキナリは、何を言えばいいのか分からず、立ち尽くした。
「眠れないんですね」
イリスの声は、思いの外優しいものだ。
聞きようによっては、いつもと変わらないように聞こえた。
「……こんなところに居ると、冷えないか?」
そんな的はずれな事を口にしていた。
「イリスなら大丈夫です」
久しぶりに、まともな会話をした気がした。
ボロっと、ユキナリの頬を涙が伝い落ちた。
何の前触れもなく。
「な、んでも、ないんだ」
取り繕う為の言葉も、唇は震えていた。
「ただ……居なくて」
息をするのが、やっとだった。
「居なく……て……」
誰が居ないのかを、口にするのは怖かった。
イリスが両手を広げた。
どういう意味なのかわからず、じっとその姿を見た。
イリスが、自嘲気味に笑う。
「こんな汚い女は嫌ですか」
「いや……」
おずおずと、その手を取ると、引き寄せられる。
抱きしめられる。
イリスは何も言わなかった。
ただ、悲しみを湛え、ユキナリをその胸に抱きしめた。
熱を持たない。モーター音さえないその冷えた身体は、本当にただのひんやりとした岩に顔をつけているようだった。
今は、その冷たさが、何よりもありがたかった。
少しは上向きになってきたでしょうか。




