204 絶望の宴(5)
目の前に、赤い水たまりが広がる。
わたくしに触れた血が、足の毛につき、足はすっかり赤黒く染まってしまった。
マルは、赤く濡れた前足を見る。
弱弱さんが、目の前で潰されてしまった。
幸い、魔女とその一味は、弱弱さんを踏みつけ、潰してすぐに、潮が引くように居なくなってしまった。
捕まえる暇はなかった。
弱弱さんが踏みつけられた衝撃で、誰もが言葉を失った。
人混みの中の魔女を、誰も追う事が出来なかったのだ。
身体が震える。
魔女に故郷を壊滅させられ、小さいうちから家がなくなり、世界を歩き回るしかなくなったあの日から、もう大切なものなんて無くなったと思っていた。
けれど、目の前で失う事が、これほどまでに衝撃だなんて。
ユキナリ様のそばに立った。
悲しい背中。
石畳に突いた手が、赤い血に埋まっている。
項垂れた前髪まで、その血についてしまいそうだ。
背中が震える。嗚咽する。
……泣いている。
ユキナリ様が泣いている。
こんな事を言うのは、間違っているかもしれない。間違っているかも。
けれど、マルはユキナリ様に声をかけた。
「ユキナリ様、諦めるのはまだ早いですわ」
たしっ、と石畳に肉球を叩きつけた。
「前に言ったでしょう。魔物には、コアを潰されない限り死ぬ事はない種族も居ると。……弱弱さんも身体を変形できる事から見て、その一つですわ」
ユキナリ様の絶望の中に小さな光が宿る。黒い黒い光だ。
「もし、コアが潰れていなかったのなら……。弱弱さんは無事ですわ」
嘘は吐いていない。
嘘ではない。
けれど。
魔物のコアになるものは、大抵の場合、心臓や脳など守りやすい場所に多い。よほど強い魔物ならば、額の宝石なんていう場合もあるが、弱弱さんの場合、本当に弱い種族だからそんな事はないだろう。
マルは、赤い水たまりを見やった。
どの箇所も潰れている。
……可能性は……本当にありますの……?
脳だったもの、心臓だったもの、内臓だったもの。どれもここで潰れている。
期待なんてさせてよろしいの……?
けれど、ここでユキナリを潰してしまうわけにもいかない。
マルは怖くなり、後退りする。
後ろを向くと、街外れまで駆け出した。
全力で、遠く見渡せる丘の上に向かって。
風が痛いからかなんなのか、こぼれる涙を後ろに落として。
遠く。遠くに、去っていくゴーレムの集団が見える。
空は晴れている。
嫌になるくらいに。
「ヒスン、ヒスンヒスン」
鼻が鳴るのを止める事が出来ない。
悲しみを覚えればいいのか、悔しさを覚えればいいのか、怒りを覚えればいいのか。
どうにもならない気持ちを抱えて、マルは一人、身体を震わせた。
「ヒァーーーーーーーーン」
果てなき遠くまで届く遠吠えが空に響いた。
「ヒァーーーーーーーーーン……ヒァーーーーーーーーン……」
その日はいつまでも、その声が響いていた。
それぞれの視点でお送りしております。次回はナーナ。




