202 絶望の宴(3)
「イリス!?」
市民を守っていた泡は弾け、人々がまたゴーレムらしきものの前に晒される事になってしまった。
人々の声と血の匂いが、溢れてくる。
それに……臭い。
鼻につく匂いがした。
それが、何年も放置された肉が放つ匂いだと、ハニトラにもわかった。
あの、ゴーレムらしきものから匂いは放たれている。
そういう攻撃……?
いや、イリスの様子がおかしい。
まさか……。
あのゴーレムの媒介に、発明者であるイリスのマスターが使われていたようだ。
イリスのマスターの手帳で見かけた事がある。
ゴーレムに意思を埋め込む代わりに、生きた人間を埋め込む方法がある。
その方が、魔法を発動させるよりも簡単な方法なのだ。
必要なのはその命だけなので、食事も出来ない、暗闇で命の終わりまでそこに居るしかなくなる。どういう仕組みかはわからないが、一度ゴーレムが動いてしまえば、媒介の命がたち消えようとも関係なく、ゴーレムは動き続けるらしい。
つまり……イリスのマスターは…………。
ハニトラは俯いた。
そんなの耐えられない。
もし、ユキナリがそんな事になったら……やっぱり、私は耐えられない。
火の手は辛うじて上がっていない。
それも、水の精霊と火の精霊が尽力しているおかげだろう。
この街の中が、今どれだけ混乱に陥れられているのか想像もつかない。
「う……うぅ……っ」
街の人達の、辛そうな声が増えてきた。
今のところ、この広場は犠牲者が少ないけれど。
ガン!ガン!
と、ハニトラは両腕を刃へと変え、ゴーレムと戦った。
刃は私が記憶している身体の一部だから、刃こぼれする事はない。
けれど、周りで戦っている冒険者達は、いくらなんでもそろそろ限界だろう。
相手は人間ではなく、巨大な岩石なのだ。
「イリス…………」
イリスに立ち上がってもらいたいが、泣きながら“マスター”の元へ這っていくあの姿を見ると、イリスばかりを頼る気にもなれない。
一度、ユキナリと合流しなくちゃ。
ユキナリは、どこ……。
周りを見渡すと、ユキナリは思いの外簡単に見つかった。
けれど。
ユキナリも、様子がおかしい。
戦ってはいるけれど。
苦しそうだ。
この匂いのせい……?
と考えて、一つの事が思い浮かぶ。
さっきの、ゴーレムの胸を剥がしてしまった事だ。
あんなの、ユキナリが悪いんじゃないのに。
元々、イリスのマスターは生きてたわけじゃない。
ユキナリが何か悪い事をしたわけじゃない。
そんな事、気にしないで。
飛んで行く。
ユキナリのその場所へ。
風を切って。
この空を越えて。
その時だった。
「あぁら、ハニー・トラップ」
ハニトラの名を、呼ぶ声がした。
え?
魔女カタライだ。
魔女が、私に何の用?
なんで、名前まで知って……。
ハニトラは、魔女を無視してユキナリのところまで行こうとした。
けれど、魔女は、あろうことかその場にいる全員が聞こえる声で、こう言ったのだ。
「よくやったわ。今まで報告ご苦労様!これで出世間違いなしね!」
え?
何言ってるの。こいつ。
私は、今日、魔女と初めて会ったっていうのに。
そんなこと言ったら、みんなが。街の人が。私を疑って…………。
周りの視線が突き刺さる。
味方同士で争いが起きる。
そう、人間である父が人間に殺されたみたいに。
「あなたなんて知らない!」
「あぁら、もう、演技なんていいのよ?ここが最後の舞台なんだから」
やめて。
もしユキナリにまで、疑われたら…………。
ユキナリと目が合う。
けれど、ユキナリは強い目をしていた。
私の事を信じてる目だ。
ユキナリ……!
ああ、わかった。
あなたなら、私の事を一人ぼっちにはしない。
「ユキナリ……!」
そしてそこで、ハニトラの目に入って来るものがあった。
あの巨大なゴーレムが、まだ動いている。
踏み潰そうと、ユキナリを追いかけ回している。
その胸から、腐った肉片をボトボトと飛び散らせながら。
ユキナリに近付かないで。
やめて。
その足の裏が、ユキナリに襲いかかる。
ユキナリは、後ろにいる人々を守る為、勝ち目のない勝負に出ようとする。
「ユキナリ!!!!」
ああ、精霊なんていうものがいるなら、ユキナリを守って。
その人は、私の大切な人なの。
ハニトラは、ユキナリをゴーレムの足の裏から押し出した。
自身の身体を犠牲にして。
頭の上に、大きな岩石の足が、降って来る。
「ユキナ……」
グシャ…………!
そして大きなゴーレムの足を中心に、真っ赤な水たまりが出来た。
魔物だったのか人間だったのかもわからない何かが、小さな果物のように潰れた。
飛び散る。腕だった何か。足だった何か。脳だった何か。内蔵だった何か。
もう一度ゴーレムが足を上げた時、潰された何かは、もうそれが何だったのかわからないほど柔らかく、足の裏にこびりついていた。
「ハニ……ハニトラ…………?」
ユキナリが目の前の現実に顔を真っ青にしながら、いつもの笑顔を探す。
「な………………?え…………?」
ゴーレムはその感触に満足したように、踵を返し、どこかへ去っていってしまった。
「ハニ……トラ………………?」
これはハニトラの絶望か、はたまたユキナリの絶望か。




