137 こんな道を通りたかったわけじゃない(3)
力を込める。
「ふぬぬぬぬぬぬぬ」
押せないわけじゃない。動かないわけじゃない。
けれど、この調子であと数百メートルだかの坂道を登らなくてはいけないことを思うと、気が遠くなった。
「ユキナリさん、大丈夫ですか?」
イリスが気遣ってくれるけれど、
「ああ、もちろん」
とカッコつけて言うしかなかった。
前からも3人が引っ張ってくれている。トカゲなど、ここまで気合いの籠もった鼻息が聞こえてくるくらいだ。
まだだ。
まだまだ。
下を向いて必死に馬車を押しているから、ただ、柔らかな土だけが見える。
さすがに足が滑ることはない。
ただひたすらにゆっくりと下へ流れていく土を見るのも、悪くないと思い始めた頃。
途方もない時間の後で、山頂が見えてくる。
「もうすぐだ」
ユキナリは、明るい顔を空へ向けた。
その時だった。
つつ……、と水が頬を流れた。
汗かと思ったが、違う。
頬に、水があたったのだ。
つまり……それは雨だった。
嘘だろ。
「急ごう!」
みんなの返事の中で、ぱたばたと雨は、頭、頬、服、と絶え間なくつついてきた。
空は変わりなく晴れている。天気雨ってやつか。
ぱたぱたと聞こえていた雨が叩く音は段々と強くなる。
もう人の声も聞こえないところまで達すると、逆に馬車は滑りやすくなる。
なんとか落ちないように押しているだけで精一杯だ。
それは、死に物狂いになった俺の最後の頼みの綱だった。
「全ての癒し、水の精霊ウンダ。俺達を助けてくれ……!」
短剣が、いつもの様に青く光る。
聞いてくれるのか……!
ズズ……。
「!?」
急に、馬車が軽くなる。
「なんだ!?」
足にかかる水の勢いがすごくて、下を覗いた。
凄まじい水流だ。
それも、馬車の車輪の後ろ側から、前へと流れている。
水が……、山頂へ向かって……?
その水流が、地面ごと馬車を流しているようなのだ。
ウンダ……!
教会で会ったあの女性を思い出す。
「やっぱり、頼りになるのはウンダだよなぁ……!」
足元はかなりズブズブだが、随分軽くなった馬車を、落ちないように運ぶ方がまだマシだ。
「もう少し左だ!」
ザバザバと降る雨の中、大声を上げながら、なんとか山頂に辿り着いたのは、突拍子もない雨がやっと上がった頃だった。
「はー……はー……」
かなりの疲労を抱えた俺達は、かなりの濡れ鼠だった。
服が、ビタビタに張り付き、絞るとボタボタと水が滴った。
雨にあたり、元気にはしゃいでいるのはハネツキオオトカゲくらいだろうか。
イリスが無言でマントから水を垂らしている。
マルがブルブルブルッと身体から水を弾く。
ハニトラに至っては、そのままガバッと服を脱いでしまった。
「おおおおおおおいっ」
あまりにも目の前だったので、ユキナリは思いっきり動揺してしまった。
キョトンとした瞳がこちらを向く。
「脱ぐなよ」
「でも、気持ち悪い」
と、ハニトラは、たった今できたばかりの水たまりをバチャバチャと音を立てて歩いて行ってしまった。
なんとか頂上まで辿り着きましたね!