117 盗人事件(4)
『そしてある日、私は気がついた。その個体の身体には、ヒビが入っていたのだ。
ヒビは、顔の先から尻尾の先まで、満遍なく入っている。よく動かす尻尾や羽のあたりが多いだろうか。乾燥してしまったのかと不安になる。
けれど、とある瞬間、その事件は起こった。
ピリピリと音がした。空気を切るような耳に響く音だ。
そして、その瞬間、顔から、その個体が自分の身体を抜け出てきたのである。
元の場所に身体は残っている。いや、出てきた身体もきちんと身体がついている。
元の身体は、キラキラと光っている。向こう側が透けて見える。
そこでやっと、私はこれが脱皮である事に思い至ったのだ。
それは脱皮であった。
脱ぎ捨てられた皮の方は、勿論必要のないものであろう。
地面を這っていった先で、私はその脱ぎ捨てられた皮を採取しようとした。
しかし。
しかしである。
皮は光に吸い込まれるようにキラキラと煌めくと、私の目の前で消えてなくなったのである。それは、まさに不可思議な現象であった。普通に考えれば、無数の欠片となって風に散っていったと考えるのが自然であろう。しかし、私が見た感覚で言うと、それは空気に消えていったのである。』
…………脱皮?
「じゃあこれが、脱皮の前兆だっていうのか?」
「その通り!ですわ!」
マルの目が、いつになくキラキラしている。
ハネツキオオトカゲの生態は未だ不明とあるくらいだ。世界を研究しているマルにとって、興味の対象なのだろう。
「わたくし、その脱皮を見たいですわ!」
その言葉がきっかけだった。
その日から、マルがトカゲのそばから離れなくなったのだ。
仕方なく、マルの様子を見ながら食事を運ぶのをイリスに任せ、ハニトラと二人、再度買い出しに出る。
「トカゲの方もあんま動きそうにないし、仕方ないと言えば仕方ないか」
「じゃあ、しばらくこの町にいるんだね」
「だなぁ。まあ、いつでも出られるように買い出しだけはやっておかないとな」
なんて言いながら、二人で通りを歩く。
「あ、あれ」
とハニトラが指さしたのは、甘そうな細長いクレープのようなものだ。
「うまそうだな」
てけてけ走っていくハニトラの後ろ姿を眺める。
スカートをなびかせながら走る姿は、まるっきり人間の女の子みたいだ。
陽光の中、銀色の髪が揺れる。
にぱっとした笑顔で、空気は柔らかくなる。
「ここで急いでも仕方がないしな」
「そうだよ」
ハニトラがクレープにかじりつく。
かじりついたクレープから、カスタードクリームがはみ出した。
結局、買い出しはハニトラの好みのものが多くなった。
夕日の中を、馬車へと戻る。
「何日くらいで脱皮するんだろうね」
「ああ。まあ、本の通りなら、少なくとも数日はかかりそうだよな。そんなに綺麗なものなら、見てみたいものだな」
マルも動かなくなってしまいましたね。