112 森へ(3)
「懐柔って……どこでそんな言葉覚えたんだよ」
ユキナリが、呆れた様に言う。
私だって別に、何も知らないわけじゃない。ただ……字が読めないだけで。
父は色々な事を教えてくれた。
人間の事、森の事、生きる事、食べる事、色々。
けど、『そのうち文字の勉強もしないとな。まあ、まだ早いから』なんて言っているうちに、殺されてしまったから。
「懐柔するとかじゃなくてさ」
なんて言いながら、ちょっとユキナリが慌てる。
空気を和ませておいて、私とさよならするんだったら、そんなの許さないんだから。
今から、どうやって旅についていこうか考えた方がいいだろうか。
馬車を追うのは、歩くユキナリを追うのよりも難しいだろうか。
屋根の上に登っちゃえば、後ろからついて行くよりも簡単かもしれない。
む〜っと口を尖らせて、口の中にマカロンを押し込む。
口の中に、甘い香りが広がる。
しゅるしゅると溶けるようなお味。
「あのさ、」
「なあに?」
「これから、ハニトラの村に行くだろ?」
「うん」
正直、私の村、という言い方はよくわからない。
故郷と言えるほどまともに住んだ覚えもない。
「そこに行って、もし、まだ、」
ほら。
やっぱりこの話。
けど。
私が思っていたのとは、違う方向に話は進むようだった。
「俺の旅について来てくれるって言うならさ」
風が吹く。
私がこれまで感じたことのない風だ。
まさか。
だって、この間ついて行くと言った時には、とても困ってた。
だから、ついていける事なんて無いって思ってた。
無いって、思ってたのに……。
景色は明るく見えた。
期待してしまった。
ユキナリの顔さえ、照れている様に見えてしまう。
期待していいわけなんてないのに。
けど。
もう、期待しないなんて出来ない。
「その後も、ついて来ないか?」
ポカンとしてしまう。
思いもよらない言葉だった。
その言葉を理解するのに、何度も頭の中で反芻した。
「ハニトラ?」
「うん……」
興奮しすぎて、息ばかりの返事になる。
深呼吸は、一回、二回。
「うん!私、ユキナリについて行く!」
「きゃー!」と抱きつくと、ユキナリは相変わらず、真っ赤になって慌てる。
慌てた末に押し退けられる。
ハニトラの目が潤んで、ポロポロと涙が溢れた。
膝の上に丸く落ちて行く。
「わだし……っ、おいでいがれるんだとおもっでぇぇぇ」
「お、おう……。とりあえず、鼻を拭こうな?」
「どうやっで、ばしゃのうえにのっでづいでいごうがって……」
「馬車の上に乗るのは怖いからやめてくれ」
オロオロとしたユキナリが、困った挙句、袖でハニトラの鼻を拭いてくれる。
「乗ってづいでいぐぅぅぅぅ」
「そうだな」
ユキナリの声は、少しだけ笑い声になった。
最終的に、ユキナリは、落ち着いてきたハニトラをお菓子で慰めてくれた。
「おいしい……」
結局む〜っとした顔のハニトラが、プレッツェルを口に頬張る。
「これからいくらでも買ってやるからさ」
「うん。……よろしくね」
公園に、ぐすぐすとした声が響く。
世界が明るく輝いた。
というわけで、ハニトラ回でした!