07 聖母
■冒険者 リオン
ふわふわと、ふかふかに、包まれていた。
(ここは、何処だろうか? )
半分夢見心地で、そう考えながら、俺は昨日の戦闘を思い出す。
あの、俺たちと似た風貌の女との戦闘を。
(俺は死んだのだったか? ここは、天国だろうか?)
そこまで考えて、思い出した。
ほぼ何も出来ず、死にかけたことを。
何とも言えない悔しさが蘇り、目が覚めた。
見慣れぬ豪華な天井。
俺達はローゼンさんにお世話になることになったのだ。
慌てて隣のベッドを確認する。
(なっ!? )
そこで寝ている筈のマリアはおらず、ベッドはもぬけの殻だった。
そして、気付く。扉の脇に立っている女に。
(また、お前か)
後悔、絶望、そして、憤怒に苛まれた俺は、脇に立て掛けてあった剣を引き抜き、女に飛び掛っていた。
「だめーーーーっ! 」
その刹那、扉が開き、マリアが飛び込んできた。
(やばいっ!! )
振りかぶった軌道は、マリアへと向かっていく。体をひねり避けようと試みる。が、勢いをもった刀身は言うこと聞かない。
ズシャ。
肉体が斬れる音とともに、ドス黒い液体が吹き出した。
「ふ、ふぇーーん!」
マリアの泣き声が響いた。頭の中は真っ白だった。
「まぁ、大変! 再生」
マリアに続いて入ってきた奥様が、そう唱えると、緑色の光が輝き、フィアの腕の傷があっという間に治った。フィアは、俺の攻撃からマリアを守ったのだ。
「マリアちゃん。こちらにいらっしゃい」
マリアを抱き上げて、奥様が歌い出す。緑色の光がマリアを包み込んだ。
泣きじゃくっていたマリアが落ち着いていく。
「マリアちゃんは、フィアとリオンに仲良くしてほしいのよね」
「うん。」
マリアの目から、涙がこぼれ落ちる。
「フィアおねえちゃんね、きのう、マリアといっしょにいてくれたの。いっぱい、おはなしをしてくれて、あまいおかしもくれたの」
「そう。お兄ちゃんが帰ってくるまで、一緒にまってくれたのね」
「マリア、ねちゃったの」
「安心して眠ることが出来たのね」
「うん」
マリアがこくりと頷いた。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
俺はその場に崩れ落ちた。
マリアを大切に思ってくれた人を、マリアが大切に思っていた人を、攻撃してしまった。
そういえば、昨日、ローゼンさんから、あの女は俺達の護衛を命じられていたのだ。
さらなる、罪悪感に苛まれる。
と、俺の体を緑色の光が包み込んだ。
「リオンも、マリアを守るのに必死だったのよね」
奥様のその一言で、この数年の記憶が一気に蘇ってきた。
ある日突然帰ってこなくなった父。
不安を押し隠して、泣きじゃくるマリアを宥めながら眠った夜。
家を追い出され、幼いマリアの手を引いて、宛もなく彷徨い歩いた日々。
結局、マリアを廃屋に残して小銭を稼がねばならず寂しい思いをさせ、俺は常に妹を失う不安を抱えて生きてきた。
「よく、頑張ったわね」
奥様の手が俺の頭をなでた。
「うっ、ううっ」
「一杯泣きなさい。貴方もまだ、子供なのだから」
奥様はそう言うと、また、歌い出した。涙がとめどなく溢れ出ていく。緑色の光に包まれ、体はポカポカと温まる。
奥様は、俺が落ち着くまで、撫で続けてくれた。
「おにいちゃん、ごめんなさい」
奥様から降りたマリアが、とことことっとやって来て俺に謝った。昨日の夜のことをいっているのだろう。
「お兄ちゃんも、怒鳴ってごめん」
「えへへへへへ」
マリアが手を後ろに組んで、恥ずかしそうに笑う。
先を越されてしまった。
そもそも……
「そもそも、フィアがリオンの友達だと嘘を付いたことが始まりね」
俺の思考を読んだように、奥様がいう。
「それは、ローズマイヤー伯爵の策ね。直前まで命令を遵守していた貴女が、なぜ、マリアを強制的に眠らせなかったのかしら。ローズマイヤー伯爵の言い付けを破ってまで」
「……」
フィアは、両手を前で組み俯いたまま、何も答えない。奥様は、そんなフィア、急かさなかった。
俺達を包んでいた緑色の光が、今度はフィアを包み込んでいる。
「私は……マリア様と……リオン様のお母様、レリア様の……侍女でした」
フィアがぽつりぽつりと語り出す。
「いつも明るくて……お優しくて……美しい方でした」
「幼い頃から仕えた貴女にとって、姉のような存在だったのよね」
奥様が優しく言う。その言葉に、フィアが嬉しそうに頷いた。出会ってから初めて、感情らしいものを見た気がした。
「恋……をされて、ますますお美しくなられました」
「でも、周囲には反対された」
「はい。レリア様は……伯爵家を……出ていかれました」
「出ていく彼女を、手伝ったのは貴女ね。本当は止めたかったのに」
「レリア様が居なくなって、私はポッカリと心に穴が空いた気がしました。悲しくて悲しくて、その気持ちを忘れるべく、感情を捨てました」
「表向きの話しね。三割ぐらいは、その気持ちもあったでしょうけど」
「……」
奥様の言葉に、フィアが驚いたように顔をあげた。
「貴女は、レリアが居なくなった責任を取らされたのよね。専属侍女として」
フィアが顔を歪めながら、ふるふると首をふった。その様が、事実であることを告げる。
「仕える人が居なくなった貴女は、伯爵家の裏仕事をこなせるように教育された。その過酷な教育と仕事が、貴女の感情を奪ったのよ。レリアがいた頃とは、まるで別人のように」
とうとう、フィアの頬に涙がつたう。
「マリアに会う直前まで、貴女は感情を失っていた。ただの機械のように、仕事に忠実に。でも、マリアに出会って、マリアの中にレリアの存在を感じて、愛おしく思った貴女は睡眠魔法をかけられなくなった。
気がつけば、以前レリアにして貰ったように、お菓子を分け与え、マリアが寝るまでお話を聞かせた。」
「うううっ」
フィアがとうとう声をあげて泣き出した。相変わらず、幼子の様に首を振っている。
「フィアおねぇちゃん」
マリアが、そっと、フィアを抱きしめた。フィアがびくっと顔をあげる。顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「えへへ。きのう、ぎゅっーてしてくれたおかえし」
フィアがわんわん泣き出した。奥様は、それを優しい眼差しで見つめていた。
「もう、伯爵家の呪縛はないわ。自由に生きなさい。貴女はどうしたいの? 」
落ち着いたフィアに、奥様が問う。
「マリア様とリオン様を、守りたいです」
「当然、二人の幸せを願ってよね? 」
奥様の言葉に、フィアが頷く。
「だそうよ? リオン」
奥様が俺を振り返った。
「お、お願いします」
フィアの言葉には、何の偽りも感じられなかった。何より、マリアが喜ぶはずだ。
「あっ!? 」
マリアがフィアの左手をとって、走ってきた。
フィアがつんのめる。
「はい、なかなおりのあくしゅ」
俺の右手をとって、繋がせた。
「えへへへへへ」
マリアの嬉しそうな笑い声が部屋に響いた。
奥様もにこにこと笑っている。
これは、いつまで握っていれば、いいのか。
フィアは、離そうとしないし。顔が紅い?
「あっ、そうだ! マァは朝からどこに行ってたんだよ? 」
恥ずかしくなってきたので、話題をふり、そっと、手を離す。
あれ? 離せない??
「ママとお風呂! 」
「「ママっ!? 」」
俺とフィアの声が重なる。驚きで手が外れた。
「貴方達も、呼びなさい。
お母様も捨て難いけれど」
奥様が言う。
ピンク色の透き通る肌、澄んだ青い目、すっと通った鼻梁に、小さなぷっくりとした口びる、陽の光の様に明るい髪、その両脇から突き出した尖った耳、豊かな胸にスレンダーなボディ、万人を魅了するヒップと長い手足、そして、それらを美しく引き立てる淡い水色のドレス。
まさに、聖母だった。
ママなんて、畏れ多くて呼べない。
「私のっ、誕生日だったのにぃーーーー!!」
そんな呑気なことを考えていると、屋敷中に響き渡る怒声が聞こえてきた。
「まぁ、大変!!」
奥様が慌てて出ていく。
「貴方達も、手伝ってちょうだい」
数歩いって戻ってきた奥様にそう言われ、俺たちも慌てて後に続いていった。