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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第三章/前『死の商人編』

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92 かわいい白のキミとの再会

 歩いて一時間ほどでベル湖に到着した。

 ここは、ネージュメルンでも有名な観光地のひとつだ。

 その名の通り『輝く湖』として古くからこの地にあるベル湖は、実は数年前まで呪われていた。

 なんでもある時いきなり湖水が黒く変質し、瘴気を放つようになったのだという。

 原因は不明。

 調査をしても水質変化の理由は特定できず、地元の人々は祟りだと恐れてベル湖に近づかなくなった。


 それが数年前、ひとりの勇者の手によって水は浄化される。

 ベル湖は以前の輝きを取り戻し、今では釣りの名所として連日釣り好きが集まる憩いの場となったのでした。

 めでたしめでたし。


「──という、逸話のある湖だそうだ」


「はあ……」


 心弾む(弾まない)王子の観光ガイドを聞きながら、凍結した湖を渡ってベル湖中央にある中島にゼノたちは上陸を果たす。

 そこから歩いて約五分。例の館はあった。

 緑の屋根が目を引く屋敷。

 てっきり工房だというからには、王都の王立研究所のような大きな建物を想像していたのだが、思ったよりもこじんまりとしていた。


「これが工房? なんかイメージと違う……」


 ゼノがぽかんと口を開ければ、王子が館を見上げて言った。


「アルスが言っておったろう? 表向きは『氷上釣り愛好会館』だと」


「ああ、そういえばそうでしたね。でも、氷上釣りって……なに?」


「氷、に……穴、あけて、魚……つる」


 フィーが氷の上に立つ男を指でさす。

 凍った湖面に向かって釣り糸を垂らしている。なるほど、あれが氷上釣りか。


「入るぞ」


 王子が館の扉に手をかける。

 中に入ると、華やかな玄関ホールに迎えられた。

 目の前には階段うえまで伸びる赤い絨毯が、壁には魚の絵画が飾ってある。

 いっけん会員制のサロンのようだ。すぐに受付の女性が近づいてくる。


「いらっしゃいませ。展示の観覧ですか? それとも釣り具の貸し出しでしょうか?」


「二階の展示を見たい」


「承知いたしました。では、会員証のご提示をお願いいたします」


「これだ」


 王子が女性に小さなカードを手渡した。

 女性は確認すると、にっこり笑って「どうぞ」と言った。

 そのままゼノたちは階段を上がって二階へ行く。


「良かったですね、バレなくて」


「バレるもなにも本物の会員証だ。問題はない」


 淡々と告げる王子はまったく表情が変わらない。


(まさにポーカーフェイス……)


 実はさきほどの会員証。

 あれはグレンから借りたものである。

 ヒューゴの研究施設に忍び込むなら役に立つからと渡してくれたのだ。

 さすがは釣り好き。

 こんな極寒の地で魚を釣ろうだなんて常軌を逸している。


「──と、ここですかね」


「うむ。なかなかに見事な魚拓だの」


 階段をのぼってすぐ手前の扉をくぐると広い部屋に到着した。

 湖の水彩画。魚拓。

 この地で釣れる、湖魚の紹介コーナー。

 それらをしげしげと観察していると、王子が「出るぞ」と言ってきた。


「ええ? もうですか? まだ入ったばかりですけど」


「展示が見たいのならば好きにしろ。余は館のうしろを見てくる」


「うしろ? なんで……って、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、王……ライ様っ!」


 颯爽と退出した王子のあとを追ってゼノは部屋を出た。


 ◇


「あれ? どこいったよ……」


 廊下は無人。相変わらずの置いてけぼりに、ゼノはがくっと肩を落としながら廊下を見渡した。

 ごくふつうのインテリア。

 華美というほどではないけれど、質のよい調度品が廊下の端々には並んでいる。

 季節の花をあしらった、いかにも高そう花瓶。

 割らないよう注意しながら遠巻きに歩いてゼノは階段下へと向かう。すると、


「──ごきげんよう。なにか面白い展示はありましたか?」


 大人びた、中性的な声。

 首をひねると斜め後ろに小柄な少女が立っていた。

 金髪の、レースをふんだんにあしらった黒のドレスを着た十五歳くらいの女の子だ。

 にこりと笑うと少女はこちらに近づいた。


「レイラと申します。あのかたの葬儀以来ですね。メレディアの花は彼女に捧げられましたか?」


 ふっと目を細めて微笑む。

 それは海辺の霊園で見た、どこか儚げな印象を持つ少女のものだった。


「あ、キミこの前の……」


 夏の初めに蒼い花をつけるメレディア草。

 今は秋だというのになぜかティアの葬儀中、献花用にとメレディアの花を渡してきた少女だ。

 まさかこんなところで再開するとは。


 ゼノが目を丸くして驚いていると、少女はゼノの顔をじっと見つめて穏やかな笑みを作った。


「誰かお探しに?」


「え? ……ああ、ちょっと連れとはぐれて。青い髪をした、キミと同じくらいの年の男の子、見なかった?」


「いえ、わたくしもいま廊下に出たところですから。すみません」


「そっか」


 少女はすこし申し訳なさそうに微笑むと、「そうだ」とつぶやき、ドレスのポケットからなにかを取り出した。


「せっかくこうして再会したのですから、お近づきのシルシにこちらを差し上げます」


 そう言って、手のひらにころりと置かれたひし形の水晶には見覚えがあった。


「これ、どこかで……」


 綺麗な水晶だ。

 蜂蜜色の、つるっとした石の表面には白い文字でなにかの命令式が刻まれている。


 多分古代語だ。


 なんて書いてあるんだろうとゼノが水晶を観察していると、少女はクスリと笑ってもうひとつ同じものを手のひらの上で転がした。


「こちらは以前、この施設で研究されていた特別な水晶です。とても綺麗な石でしょう? 純度の高い水晶を使っていますから、売ったらそれなりの値がつくと思いますよ」


「はあ……、どうも」


「では、わたくしはこれで」


 それだけ告げて、少女は一番南端の部屋に入っていった。

 開いた扉の隙間から、かすかな男女の話し声が聞こえてくる。

 飛距離がどうのと話しているようだが、すぐに扉が閉められて、音はふつりとやんだ。


 ゼノはもらった水晶をローブのポケットにつっこんで階段をおりた。


 ◇


 玄関ホールにつくと、受付の女性がぺこりと会釈してきた。

 その近くには王子がいる。

 なにやらフィーに耳打ちしているようだ。


 フィーはこくんと頷くと、可愛らしくタタタと走って受付脇の扉に手を置いた。

 女性が慌てるようにカウンターから出てきて扉を押さえた。


「お客様っ、こちらは関係者以外の入室をお断りしております。申し訳ありませんが、この先へのご移動はお控えください」


「すみません! ──フィー、駄目だろ? どうした、急に走って」


「ん、お花……を、つみに」


「花? だったら外に行けば──」


「お手洗いですね。それなら階段脇の扉ですよ」


 女性が屈んでにっこり笑うと、フィーが再びパタパタと駆けていく。


(花って、そういう意味ね……)


 一瞬、この雪空の下で花探しに付き合わされるのかと思った。

 できれば寒いから早々に宿に戻りたい。

 こんな雪の日は、暖炉の前に座って薬草辞典でも読んでいたいなと、ゼノが窓の外を見た時だ。


(ん? いま白い塊が横切ったような?)


 窓の側に移動して目を凝らす。

 ゼノはあまり、視力はいいほうではないが、雪原を駆ける一匹の子犬がぼんやりと目に映る。

 くりんとした丸い尻尾。

 空を漂う光蝶スピルめがけて元気よく飛び跳ねている。


 いやあれ、シュバルツァーじゃ……。


 ゼノは目を擦った。


「すみません、王子。外にシュバルツァーがいるんですけど」


「誰だ、シュバルツァーとは」


「犬です。ほら、アルスさんの店にいた」


「ああ……、あれか」


 王子と並んで外を見る。

 イナキアの商都で出会ったクレハという少女。

 その少女が飼っている、名前が妙に凛々しい白い子犬だ。

 雪の中で楽しげに遊んでいるが、あの子犬がいるということは、彼女もここに来ているのだろうか?


「ん。お待たせ……」


 戻ってきたフィーが王子のそばに寄る。

 彼の耳に顔を寄せて何かを伝えているようだ。


「……ふむ、ふむ。そうか。──では、出るぞ。ついでにあの子犬も追いかける」


「え? シュバルツァーをですか? 雪が降っているのに?」


「だからだ。こんな天候では命を落とす危険がある。さっさと保護して宿に戻るぞ」


 王子は颯爽と館を出ていった。そのあとをフィーがついていく。


(あの人も意外と動物想いだよなぁ)


 ゼノはフードを深く被り、外へ出た。

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