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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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88 彼女との邂逅はキミとの出会いを彷彿させた

 隣から、覇気のない声が聞こえてくる。


「だな……」


 なんとかなった。

 少女の言葉に呆然と返し、唯一、残ったハサミを床に見つけて眺めた。


 真っ黒だ。

 まるで呪いを吸い取ったかのようなそれは、さすがに燃えることなく残ったティアの愛用品だ。

 あとで亡骸と一緒に弔ってやろう。

 一気に噴き出した疲れとともにそんなことを考えていると、突然少女がぴょんと飛び跳ねた。


「や、やったーーーーーーー!」


 そのまま、大蜘蛛がいた場所へと走る。


「わーい、わーい! 倒した! 倒したよ⁉ お化け、やっつけたよ!」


「ええ?」


 わーいと両手を挙げる少女に元気だなぁと驚きつつ、ゼノは足を踏み出す。

 これでひと段落ついた。

 あとは戻って、アルスさんたちに報告して……。

 疲れた足取りで少女に近づく途中、ふいに黒いものが視界を掠めた。直後、


「──────ッ!」


 鋭い刃が風を切った。

 一直線に向かう先は喜ぶ少女の横顔。

 少女は気づかない。

 ゼノは瞬時に床を蹴った。


(くそっ! 間にあってくれ!)


 今度こそは。

 あの時、掴み損ねた手を今度こそ。


 ゼノは手を伸ばして少女の腕を掴んで引いた。

 小さな悲鳴が聞こえたが、無視して後ろに投げ飛ばす。

 しかし駆けだした足の勢いは殺せない。

 ゼノはそのまま少女が元いた場所へと躍り出る。

 あとはあの凶器をよけ──


「──ぐっ!」


 強烈な痛みが左腕に走った。


 見れば、上腕部分に深々とハサミが食いこんでいる。

 ずぶりと肉を貫通し、骨まで到達しているだろうそれは、容赦なく人の腕をぐりぐりとえぐってくる。

 痛みに堪え、ゼノは凶器を引き抜いて床へと投げた。

 カーンと硬質な音が倉庫内に響く。


「血が──っ」


「来るな!」


 駆け寄ろうとする少女を手で制して凶器に意識を集中する。


(まだっ……)


 まだだ。

 まだ、襲ってくる。


 身構えて、次の瞬間を待っていると、中心からひびが入ってハサミはあっけなく割れてしまった。

 ふたつに砕けた刃から、ふっと黒いものが抜け落ちたように見えた。

 ハサミの色が黒から銀へと変わる。

 すす汚れてはいるけれど、ごく普通のハサミの色だった。


「良かった……」


 間にあった。

 彼女に怪我をさせずに済んだ。

 全身から力が抜け落ちて、ゼノは、はあーと長い息を吐く。

 ようやく終わった。


 大蜘蛛との戦い以上の疲労に襲われて、しゃがみこんでいると少女が小走りで駆け寄ってくる。


「ご、ごめん……腕っ、血が……」


「ああ、大丈夫。止血すれば止まるから」


 近づく少女を片手で制して懐から白い布を取り出す。

 左の上腕部分に巻き付けて、ぎゅっと固く絞り、これでいいだろう。

 血は薄くにじんでいるが、宿に戻って手当てすれば問題ない。

 ゼノは側にたたずむ彼女に声をかけた。


「気にしなくていい。だからそんな顔をしないでくれ」


 床に座ったまま少女を見上げる。

 大きな瞳に溜まる涙。

 伸ばしかけた手をぴたりと止め、ただただ呆然と立ち尽くしている。


 そんな彼女を見ていると、不思議と心の熱が一気に冷えていく。

 波風ひとつ立たない夜の湖面。

 静寂さをまとった心の落ちつき具合と共に、少女をまっすぐと見つめると、その顔は、いまの回答に不満を訴えていた。


「でもっ」


 少女が食い下がる。

 だから、こう伝えてやることにした。


「こういう時は、笑って『ありがとう』とでも言っておけばいいんだよ。戻ったら、()()()から薬を融通してもらう。だから問題ないよ」


 つとめて冷静に言葉を並べてみたが、やはり彼女は納得しなかった。


「なにを言ってるの! だってきみ、わたしをかばったせいで怪我をして……」


 つーっと少女の瞳から一筋の涙がこぼれた。


 ──困ったな。


 どうしても、彼女の泣き顔だけは見たくない。

 それがなぜなのかは分からない。

 だけど、この時の自分はそう思った。


 どうすれば、彼女は笑ってくれるだろうか?


「……グラタン」


「へ?」


 少女が素っ頓狂な声をあげた。

 正直、自分でもこの話題の振りかたはないなと思った。

 それでもあとには引けないからそのまま続けた。


「ここを出たら、一緒に食べに行くんだろう? 少なくとも泣いている奴なんかと一緒に食事はしたくないな」


 だから笑ってほしい。

 とは、言えなかった。けれど、


「約束は守ってもらうよ」


 軽く笑って伝えれば、彼女は一瞬きょとんしたあと可笑しそうに吹き出した。

 さっと指で涙を払うと「ありがとう」と笑って右手を差し出した。


「──そういえば、初めて会ったときもこんな風に君がわたしを助け起こしてくれたっけ。今度は逆だね」


「え? ああ……そうだね」


 彼女の手を取って立ち上がる。

 割れた天窓から柔らかな月光が差して、少女の容貌を照らし出す。

 まるで、空から舞い降りた月の女神のような美しさだった。

 ふわりと優しい笑みを浮かべて、彼女は名乗った。


「わたしはクレハ。三度目ましてだね、妖精国の魔導師さん。きみの名前は?」


「ゼノ」


「そっか。それじゃあゼノ様。一緒にここを出て、とびきり美味しいご飯を食べよう!」


 重なる手は、懐かしい記憶を揺り起こす。

 その凛々しい佇まいは、一瞬だけ燃える緋色の髪をした、誰かの姿と重なったような気がして、すぐに消し飛んだ。


 商都アルニカを騒がせた連続髪切り事件。

 海霧(うみぎり)の怪人は、こうして終わりを告げた。



 ◇ ◇ ◇



「落ちつかない様子だなー、アルス。茶でも淹れようか?」


 ゼノたちが穴ぐらから地上へ出た頃、暗い顔でソファーに座るアルスにグレンは声をかけた。

 しかし、返ってくるのは無言ばかりでグレンは小さくため息を吐く。


(俺、けっこう頑張ったんだけどなあ)


 おとといは、ゼノたちが訪れることをスカルに伝えた。

 きのうは、廃倉庫にゼノを誘導した。

 そしてきょう、中年男性に変装をして彼らに犯人──ティアがいる場所を教えた。


 我ながら久々に仕事したなーと頷いてグレンは自分を褒めた。


 この地に住む者なら知っているが、イナキアには法がない。

 その代わりに商人間での掟があり、なかでもとくに重要なものを『商人の十戒(じっかい)』と呼んでいる。

 国外追放は、最も重い刑罰だ。

 消えない入れ墨を身体に刻まれる。


 だからこれでもうティアはイナキアの地を踏むことはないだろう。……いや、死んでいるだろうからどっちでも一緒か。


 グレンは薄く笑う。

 ああいう人間は繰り返す。

 だからあえて放置して、咎めもせず止めもせず、ことの成り行きを見ていた。

 すべては義妹──クレハのため。

 義妹にあだなす敵は容赦しない。


 そして、雇い主であるアルスにも対しても──


「来たか」


 ふいに感じた匂いにグレンが事務所の入り口へと目を向ける。


「どうした?」


 アルスが怪訝な顔で顔を上げると、フッとランプの灯りが消えた。

 闇の色に染まる室内。

 グレンだけが嗅ぎとれる異臭が濃くなって、やがて吹き飛ぶように扉が開いた。

 そこには、人はいない。


「風か?」


 不思議そうな表情でアルスが窓の外へと視線を流す。

 その傍らで、グレンはいっけん誰もいない空間に向かって話しかけた。


「よう、ご苦労さん。お前がここにいるってことは、坊主はティアを殺るのに失敗したか? それとも止めたはいいが、術の発動までには間に合わず、お前自身がティアを殺ったか、果たしてどっちだろうな?」


「グレン? 誰に向かって話して──」


 そこまで言ってアルスは言葉を止めた。

 以前、グレンが自分はバケモノが見えるのだと話したことを思い出したのか。

 あるいはグレンから発せられるただならぬ空気を感じ取ってか。

 いずれにせよ、アルスは緊張した面持ちでことの次第を見守り始めた。


「黒い蜘蛛、か」


 小型犬、ちょうどシュバルツァーくらいの大きさの黒影だ。

 ぼんやりとした輪郭で、常人の眼には映らないそれは、異形(いぎょう)の類。

 グレンは生まれつき人ならざるモノが見えた。

 幽見の眼(ゆうみのめ)と呼ぶらしい。かろうじで蜘蛛だと分かる影に向かって、グレンはなおも語り続けた。


「そういや、収穫祭の日に見かける蜘蛛は、生者に会い来た死者の姿だって話を聞いたことがあるっけな。つーことは、あんたはさながら死んだティアの魂ってところか。だってそう簡単にうちの妹がくたばるはずがないもんなあ?」


 答えるように黒影が二本の牙をかちりと鳴らす。

 ふざけた笑みを浮かべたまま、グレンは影に向かって言い放った。


「んじゃ、さくっと蜘蛛退治でもして、バカ可愛い妹に褒めてもらうとするかな」


 その声を皮切りに、びゅんっと蜘蛛の口から黒い糸が吐き出された。

 文字通り闇に染まった糸。グレンの左腕に巻きつき、ぎちぎちと肉を締め上げる。


「へぇー、糸か。なかなかいいやつ使ってんのな」


 余裕の笑みで腕に絡まる糸を見つめて、グレンは反対側の腕を高く上げた。


「だが、使いかたがなってねぇな。糸ってのは、こうやって使うんだぜ?」


 言って、ぱちんと親指を打ち鳴らす。

 すると、一瞬にして影は粉砕された。

 黒い残滓(ざんし)を巻き散らして異形の蜘蛛は、砂のようにさあーっと消え失せた。


「ほい、終わりー。さ、アルス。いったん寝て坊主たちの帰りを待とうぜ?」


 グレンは何事も無かったかのように棚に手をかけ毛布を引っ張った。


「……よくわからんが、終わったのなら俺は仕事に戻る」


「ええ? いま夜中の二時なんだけど?」


 どんだけ仕事が好きなんだよ。

 呆れた顔で振り向くグレンの指先には、細い糸がくくられている。

 無色に輝く糸。

 室内いっぱいに張り巡らされたそれは侵入者避けのもの。

 ゼノが事務所を訪れた時に拾ったのはこの糸だった。


 壁の端からグレンの指先へ繋がる糸は、ほんのすこし動かすだけで、侵入者をいとも簡単に排除する。

 見えるモノも見えざるモノも。

 それは、アルスの用心棒たる彼本来の仕事であった。


 かくして、蜘蛛の化生は本当の意味での終幕を迎えたのだった。

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