08 友人との約束
なんだか嫌な予感がする。
「ゼノ。ここで、ひとつ提案なのですが」
「うん?」
「ゼノはお勉強がお好きですか?」
「嫌い」
「ははは。でしょうね。だけど、たくさんお勉強をしてもらいます」
「どういうこと?」
「貴方には私付きの補佐官になってもらいます」
「…………はい?」
補佐官?
補佐官といえば、ロイドのように王族の側で書類を束ねる、あれだ。確か貴族からしか選ばれないと聞いているけれど。
「さきほども言ったように、私は軍の決定に口を出せない。ですが、『自分の補佐官を見逃せ』という命なら出せる。例えそれがまだ、成人前の王子であっても」
「…………。えーっと、それってあれか? いわゆるズルってやつ」
つまり罪人だけど、偉い人の身内だから見て見ぬふりしろよ、というやつだ。
なんだか悪い話をしているようで、ゼノがおずおずと聞き返すと、
「はい、そうです」
にこやかに言った。
「向こうが正攻法ではないのだから、こちらもズルい手を使っても構わないでしょう?」
「…………うーん? そうかな?」
発想が黒い。
だけど、シオンは元々こういう奴だ。
普段は良い子を演じているが、その内面は逆。大人たちはみんな騙されているのだ。
「──なんて、ちょっと嘘ですけどね」
シオンが、ぺろっと舌を出した。
「嘘?」
訊ねると、シオンはすこし困ったように笑った。
「実は王族の補佐官選びは政のなかでも最上位の事柄なんですよ。候補に名前が挙がっただけでも、むやみに軍は貴方に手出しができなくなる。だからこれから、書類をまとめて父上に提出しようと思っています」
「なるほど……それで……」
「はい。ですから、さっきは怖いことを言いましたが、貴方が処刑されることは万が一にもない。私がそんなことはさせません」
「シオン……」
「だから取引です。ゼノ」
もたれかかっていた壁から手を離し、シオンはゼノの正面に身体を向けた。
そしてまっすぐ真剣な表情で、ゼノの目を見つめて、静かに口を開いた。
「いつか、私がこの国の王になったとき、貴方には私の隣に立っていてほしい」
「王?」
「ええ。実は私の夢は、ユーハルドの王になることなんですよ」
それは初耳だ。
流石にそんな野望なんか持っていなかった気がするが。
「無理だろ。兄貴たちがいるんだ。それを差し置いて王になんかなれるかよ。お前の王位継承順位、確か三番だろ?」
「まぁ姉さんがいるので一応は四番目ですけど、実質はそうですね」
「だろ?」
「ええ。でも私は王になりたい」
「なんで? 金か?」
王になれば、金というか世の中のものが全部手に入る。贅沢三昧し放題だ。
「ゼノじゃないので、違いますよ」
苦笑しながら、シオンは否定すると城下町を指した。
「この国、どう思います?」
「……国? オレは好きだよ。食い物がうまいし、みんな優しいし」
「そうですね。私もそう思います。ユーハルドはまるで神話の異郷のようにいい国です」
そう話すシオンの顔は穏やかで、優しい。
心の底からこの国が好きなのだろう。
「ただ、あくまで良い国なのは一部の人間とっての話。弱いものは明日を生きるのにも難しく、希望を失った顔をしている。ゼノも、貧民地区の有様は知っているでしょう?」
「そりゃあ、まあな」
ユーハルドは豊かな国だとアウルは言っていたが、王都の端には飢えて死ぬような連中もいる。
シオンは、そういう奴らのことを何とかしたいといつも話していた。
「父上の政策では、弱者と強者の境界がはっきりしている。強い者はより豊かになり、弱い者は日陰で朽ちていく。私はそれが嫌なんです」
「…………」
難しい話はわからない。
しかし、シオンから見るとそう見えるらしい。
両手を握りしめてこいつは夢を語った。
「私はこの国のみんなが笑って暮らせる国がみたい。そのために王に。父上でも為すことのできない夢を私は叶えたい。ですから、ゼノ。私が王になった時、それを補佐する王佐の役目を貴方に任せたいのです」
「──王佐⁉」
「はい」
こちらを見て真剣に頷くシオンにゼノは慌てた。
「いや! 無理だよ、無理! だって、王佐ってロイドのおっさんみたくなれってことだろ? オレ頭よくないし、身分も……つか、そもそもユーハルドの出身かも怪しいし……。そんな奴を側に置く王とか民の信頼、失墜すんぞ⁉」
「大丈夫ですよ。私が貴方を賢くしますし、身分ならいくらでも偽れますから」
「偽るって……!」
嘘はいけないだろう。
しかしシオンは目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
「私は、唯一の友人である貴方に見ていてほしい。この先、私が何を為し、どんな国を作るのかを」
ですから、とシオンが右手を差しだす。
「私の補佐官になってください。ゼノ」
少し気恥ずかしそうに。それでいて、どこか誇らしそうに。
友人は笑った。
その瞳はまるで春の陽だまりのように温かく、ゼノは差し出された手を見つめた。
(……知らなかった)
シオンがそんな夢を持っていたなんて。
頭がいいくせに、基本周りへは無関心で、政にも軍事にも興味を示さない。
だから宮中では次期王候補から名前が外されていた。
なのに。
「ゼノ、回答は?」
シオンが答えない自分に向かって返答を問う。
正直、宮廷にあがるのは気が乗らない。
貴族のお偉方は嫌いだ。
面倒な奴らが多い。
それに王佐なんてもの、自分には無理だと思う。
だけど──
「わかった。いいよ。王佐、目指してやるよ」
「──っ! 本当ですか?」
シオンの表情がぱっと輝く。
それを見て苦笑する。
(これでいい)
こいつが自分を友人だと言うように、自分だってシオンを大切な友だと思っている。
その友人が願うのだ。
迷うわけがない。
いつかシオンが王になった時、オレはその隣にいてやろう。
ゼノは右手をゆっくり持ち上げる。
「ああ。王佐になれば金と権力が手に入るしな。お前が王になったとき、オレはその隣で贅沢三昧だ」
「ええ……またそういう……。その一言がなければ嬉しいのですが」
呆れたようにシオンがため息を吐く。
「冗談だって」
にっと笑って友人の手を握り返すと、シオンはふっと笑った。
「わかっています。──ありがとう、ゼノ」
それはこっちの台詞だ。
いくら補佐官にするといっても、そんな命令を出せば、シオンの立場が悪くなる。
ただでさえ、サクラナの母を持つシオンとその姉は、血統を重んじる派閥からよく思われていないのだから。
「では、とりあえず試験を受けられる年になるまで補佐官候補扱いということで」
「試験……? そんなのあるのか?」
「ええ。十四になれば受けられます。なので、一年後の試験までにお勉強を頑張りましょう」
手をぱっと離す。今度は拳を作って、シオンに向ける。
「ああ、よろしくな。未来の王様!」
こつんと、互いの拳をぶつけ合う。
それがシオンとの約束。
その後一年かけて猛勉強し、政務官の試験に合格。
年が明けたら、城へあがるはずだった。
しかし──
「ゼノ! シオン様がお亡くなりになった!」
その知らせに言葉を失った。
大陸歴一〇一八年の秋。
光の離宮にてクーデターが起こる。
第二妃および、第三王子シオンは惨殺され、生き残った第一王女はリーナイツ領にて保護された。
シオンと語った夢は、一生叶わないものとなってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月日は流れ、四年後。
「──ゼノ、大臣が探していたぞ。殿下への謁見が控えているというのに、時間になっても来ないと大臣が嘆いていた」
「あ、はい! すぐに行きます」
城の書庫で、昔シオンと読んだ絵本を眺めていたら、ロイドに声を掛けられた。「あいつ、この神話好きだったよなぁ」と友人を思い出しながら、ゼノは棚へと本を戻した。
書庫の入り口には、自分と同じく文官服を着たロイドが待っている。
「君が書庫とは珍しいな」
「……まぁ、たまには本でも読まないとと思いまして」
「はは。それはいい心がけだ。本は人生を豊かにする。君に言うのもあれだが、もっと多くの本を読むといい。そうすれば、今よりも色んな景色が見えるだろう」
「はぁ」
そう言われても。謁見までの時間を潰すため、書庫にいただけだ。
ゼノは普段から本を読むわけじゃない。
さきほど読んでいた本も、つまらない雑話集に神話と、これといって彼が言うような『人生を豊かにする』本の類ではない。
ただ、この国で一番、博識であろう王佐に言われては、ゼノも「そうですね」と言うほかなかった。
それになにより、彼は下級文官である自身に対して、いまだによくこうして話をかけてくれる。
嬉しいと思うと反面、素直に頷いておかなければとも思うのだ。
「ああ、そうだ。大臣が言っていたが」
「……?」
「お前の配属先が変わったそうだ。サフィール殿下ではなく、ライアス殿下の補佐官だとの話だよ」
「え! 嘘!」
「本当だとも」
それはまさに寝耳に水というやつだ。
しかしそれでは、今向かっている謁見先というのは──
「え、じゃあ今から挨拶するのって、ライアス王子なのか⁉」
思わず、ゼノは馴れ馴れしく話しかけてしまったが、ロイドはさして気にする様子もなく頷いた。
「そうだな。──ああほら、大臣がお待ちかねだ。はやく行ってやるといい」
ロイドが視線を向けた先には、恰幅のいい男がひどく慌てたようすでこちらへ走ってくる姿がある。ああ、あれは怒っている。
「うわー、最悪」
ひとこと呟いて、ロイドと分かれて大臣の元へ歩いていった。
──そして。
まさかこのあとの出会いが、
忘れてしまったキミとの約束を果たす旅路になるなんて、
この時の私──ゼノは、全く想像もしていなかった。
ここまでお付き合い下さりありがとうございます。
序章終了。次から本編です。
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