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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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85 大切な人の未来を願うこと

 ──海雫草メレディアの花のように美しい。



 昔、あの人が言ってくれた。

 ずっと嫌いだったこの髪を、会長だけは褒めてくれた。


 初夏に小さな青いつぼみをつけるメレディア草。


 開花すると、その美しさから『海のしずく』とも呼ばれるその花は、フィーティア神話に出てくる緑竜メレディアが愛したハーブなのだと前に彼が教えてくれた。


 美しい姿で人々を惑わす女神メレディア。

 古くは海の守護者としてこの近海を守っていたそうだ。


 その名前の由来の通り、控えめな海の色で彩られた花壇を見て会長は、きみの髪を見ているとアルニカの海を思い出して落ちつくと──そう言っていた。



 ◆ ◆ ◆



「こんなに霧が濃くなるなんて……」


 ティアは舌打ちすると忌々しげに霧の先を睨んだ。

 こうも霧が濃くては身動きが取れない。

 はやく邪魔者を始末して、儀式を完成させなければならないというのに。

 ティアは凶器に目を落として吐息をこぼす。


 会長にあの女はふさわしくない。


 そう遠くはない未来、イナキアを背負って立つだろうアルスのそばにあんな小娘がいていいはずがない。

 なにも持たない少女だ。

 父のように優れた商才は無く、母のように勇ましい女騎士にもなれなかった中途半端な娘。

 しかも聞くところによれば、クレハが原因で家庭は不和に陥り、実の弟は家出したらしい。


 才が無ければこのイナキアでは生きていけない。


 だというのに、てんでダメな娘。

 なにひとつ秀でたものを発現できなかった愚鈍な人間。

 だからあの人にクレハはふさわしくないのだ。


「それなのに……」


 アルスはクレハを大切にしている。

 歳が離れているとはいえ幼なじみなのだから当然だ。

 加えて恩師の孫娘。

 理由は十分だ。


 分かっている。

 それでもティアにとって、それは容認できないことだった。


 最初は仲良くやれると思った。

 でも駄目だった。


 あの底なしにお人よしなところが気持ち悪い。

 彼女を見ていると、まるで自分の心が薄汚れているように感じて嫌になる。

 だから避けた。


 もちろん表面上ではふつうに接した。

 けれど、町で見かけても極力会わないようにしていたし、店にくれば最低限の会話だけにした。

 それでも駄目だった。

 大好きな人が彼女に優しい笑顔を向けるのを、そばで見ているのがつらかった。


 ……そう、クレハを嫌いになるまで時間は早かった。


「……はあ」


 ティアは頭を振って意識を集中させる。

 耳を澄ませ、敵の足音を聴くのだ。

 ひとつ、ふたつ。左右に分かれた。


 ひとつは水面をぱしゃぱしゃと跳ねる軽快な足音。

 走っているのだろう。

 ティアを迂回するように後方へと移動しているのが分かる。


 もうひとつは静かに歩く音。

 ティアの前方を迷うように進んでいる。

 とたとたと小さな足音も並走していることから、白い子犬が一緒か。


 挟み撃ち、とティアは口の端をつりあげた。

 前とうしろから同時に自分を襲うつもりなのだろう。

 問題はどちらがクレハでゼノなのかだが──


「ふふふ」


 簡単だ。

 子犬と一緒にいるのがクレハ。

 つまり、このまま前方に進んでいけば、あの忌々しい女を消すことができる。

 今度は逃さない。

 ティアは足を踏み出した。

 一歩一歩、確実に、ゆっくりと忍び寄るのだ。


 クレハの影が見えた瞬間に斬りかかる。

 息をつめて、水面を踏んで音を立てないよう注意を払って、二十歩ほど進んだ時だろうか。

 霧が揺らぐのを感じた。


 近い。


 ティアは凶器を強く握る。

 あと数秒でクレハと衝突するはずだ。

 ティアは足を止め、進んでくる相手を待った。


 霧の中にぼんやりと像が浮かんだ。

 子犬の前足が霧を出る──その瞬間、ティアは叫びと共に床を蹴った。


「そこで────」


 刹那。息が、出来なくなった。

 その直後に背中を襲ったのは鋭い痛み。

 なにが起きた? 

 わけもわからず首だけうしろにひねると、木剣を振り下ろしたクレハの姿が見えた。

 それで悟った。


 ──遊撃フェイク


 子犬と一緒にいるのがクレハと見せかけて、その実彼女は単独で動いていた。

 つまりこの水塊、自分の顔を覆っている水は、さきほど魔導師ではないと嘲笑(ちょうしょう)した少年によるものだった。


 口と鼻を覆う水の魔法。

 呼吸を奪うとは、なかなかにえぐい真似をする。


 意識が遠のき、足場がぐらりと揺れた。

 そうして倒れる寸前に、誰かに優しく抱き留められた。

 首を向けるとすぐそばにはゼノの顔があった。


「──ティア、降参しろ」


 苦しげに告げられた敗北は、彼の髪から滑り落ちたしずくと共に、ティアの頬を濡らして床へと吸い込まれていった。


 ◇ ◇ ◇


 ゼノはティアを地面におろした。

 魔法陣の脇にへたりこみ、彼女は涙を流して激しく咳き込んでいる。

 背中が痛いのだろう。

 あとは肺か。

 口から水を吐き出すも、顏をあげることができないのかティアは床と水平に頭を伏したまま声を絞り出した。


「ど、して……」


 挟み撃ちが出来たのか、と聞きたいのだろう。

 答えは子犬を抱き上げた少女が教えた。


「簡単だよ。この子がどこにいてもわたしには分かるからね。だからこの子を彼にあずけて、二手に分かれたんだ」


「……はっ、はは、そういえば、そんなことを言って……げほっ、ました、ね」


 ティアは強く咳き込むと、濡れてだらりと垂れた前髪を手で払った。


「……笑い、ますか?」


「なにが?」


「自分でも、馬鹿なことをしているのは分かっています。こんなことをしても、会長は、喜ばない……。きっと軽蔑する。だけど、それでもわたしは……」


 大切な相手の未来。

 それがすこしでも明るく照らされるのであれば、願懸けもしたくなる。

 分からない感情ではない。

 しかし、ティアはやりすぎた。

 他人から奪ったもので得られる幸せなど、真面目なアルスのことだ。

 おそらく彼自身が許さないだろう。


「だから」


 ティアがゆらりと立ち上がる。

 身体はとうに限界を超えているはず。

 けれど彼女の目は諦めていなかった。

 床にたまった水に手をかざすと後方に大きな水の拳を顕現させた。

 しかし、すぐに形は崩れ、水の拳は消え失せる。


 それを数度繰り返し、ティアは濡れた床へと座りこむと、ふいになにかを思い立った様子であたりに視線を彷徨わせた。


「探し物はこれか?」


「────っ!」


 やっぱりか。ティアの瞳がゼノの手元に向く。

 黒く染まった裁ち切りハサミ。

 武器として使っていたティアの所持品だが、ゼノは『コレ』を知っている。

 持ち手の部分の輪っかに指を入れ、ゼノがくるりとハサミを回すとティアの顔が一層険しくなった。


「返してください、それは祖母にもらったわたしの大切な商売道具です」


「返さない。というよりその様子、やっぱりこれを媒介に術を構築していただろ」


「…………」


 無言は肯定だ。

 押し黙るティアにゼノはハサミをぽいと床へと投げた。


「こういう大がかりな『儀式』を行う時には力を一点に集める依り代を使うことが多い。そして、サクラナの呪術では、個人の愛用品——想いが込められた道具を術の中心へと据えることで強いまじないになるそうだ。さらに、その媒介品を通してわずかにだけど術者の力を底上げすることができる」


「詳しいんですね」


 いま思い出したことだ。

 呪詛が刻まれた木札が、クマのぬいぐるみに埋め込まれていた。

 それをリィグが高く掲げて喜んでいたから、とっさに奪って暖炉にくべた誰かがいた。


 誰だろう。わからない。


 けれど、赤々しい炎に包まれたクマのぬいぐるみの姿が心の奥底に鮮明に焼き付いて、ああ、最後は自分もこうなるのかもしれないと、漠然と寂しさにも似たなにかを感じていたような気もする。


 その時に、書かれていた呪いの言葉がティアの描いた魔法陣の模様と酷似していた。


「……まあ、ユーハルドの魔導師なら当然ではありますか」


 嫌味を含んだ呟きを吐いて、ティアは床についた手のひらに力をこめる。

 しかし、立てない。

 そこに少女の凛とした声が掛かった。


「ティアさん」


 無言でティアが少女を振り仰ぐ。


「あのね。アルスがいつも話してたよ。ティアさんは自慢の秘書だって。だから今回の件を知れば、きっとアルスは自分を責める。貴女にこんなことをさせてしまったって、そう言うと思うの」


「そうでしょうね。あの人は、優しいから」


 ティアが薄く笑う。

 だが、少女は首を横に振る。


「違うよ。アルスは厳しいの」


 ぽつりとこぼして、少女はティアをまっすぐ見据えた。


「商会の未来。そのことで貴女に余計な心配をかけてしまった。そのせいで多くの人たちが悲しむ想いをした。それはすべて、不甲斐ない自分のせい。……わかるでしょ? ティアさんなら」


 ティアがなんとも言えない顔をした。


「お願い。本当にアルスのためを想うなら、ここで手を引いて」


 これ以上、罪を重ねないで。


 懇願でも命令でもなく、少女は静かに告げた。

 ティアは何も答えない。

 少女は自身の胸元をきゅっと握るとなにか言い出そうと一歩前に出る。

 しかし、その唇は開いて閉じてを繰り返す。

 やがて、ぎゅっと固く引き結ばれてしまった。


(……へたなことを言って刺激したら困る)


 かといって、ティアを頷かせるだけの言葉が見つからない。

 おそらく少女はそんな風に迷っているのだろう。

 悩んだすえ、視線を床へと落とすと彼女はハーフパンツのポケットに片手をつっこんだ。


 わずかにのぞく銀色の手錠。

 説得が無理なら強硬手段に出ようか。

 少女はひとつ頷くとティアに近づいた。


「待て」


 少女の足がぴたりと止まる。

 ゼノは少女からティアへと視線を移すと彼女の名前を呼んだ。


「──ティア」

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