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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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84 霧の中の戦い

「待って! 話はまだ──」


(……霧っ)


 ゼノは急いでモニカを担ぎ、近くの壁におろした。

 すぐに振り返ると、分厚い白霧が視界をさえぎり、ふたりの姿を霧の中に隠した。


「どこだ……」


 何も見えない。

 目を閉じ、意識を集中させる。

 かつんかつんと歩いてくる足音がする。

 これはティアのものだ。


 もうひとつは戸惑うように足踏みをする音と、子犬の唸り声。

 距離にして、二十歩先。

 前方──おそらく少女のもとへと急ぐと、小さな悲鳴が耳を突いた。


「────」


 かーんと、乾いた木剣に金属がぶつかる音がする。

 ティアと少女が戦っている。


 急いで霧の中を進むとふたつの影が見えてきた。

 片方が剣を振りおろし、もうひとつの影が倒れる。が、すぐに態勢を戻し、後方へと引いて姿をくらませた。

 そこで少女が叫ぶ。


「なんで! なんでこんなことするの⁉ こんなことしたってアルスは喜ばないっ。誰かを不幸にしてまで掴んだ未来なんて、いらないって言うに決まってるよ!」


「それは百も承知です」


 霧の中から返答が響く。

 ゼノは少女と背中合わせに立つと槍杖を構えた。


「会長は優しい人から。だからこっそり進めるつもりでした。誰にも知られることなく静かに。もちろんあの人にも言うつもりもありませんよ」


「そういうことじゃなくて!」


「しゃがめっ!」


「──っ⁉」


 直後、白霧の中からティアが飛び出した。

 少女の真正面。

 両手にハサミを持ったティアが(おど)り出る。

 頭を下げてかわした少女にティアは舌打ちすると、ハサミをくるりと回して逆手に持ち、そのまま真下に腕を振り下ろし──


「させるかっ!」


 ゼノは槍杖を薙いで凶器を弾いた。

 かんっと甲高い音を立ててティアの手からハサミがこぼれて床を打つ。反動でよろめくティアのみずおちめがけてゼノは槍杖を振るった。


「ぐっ……」


 ティアが濃霧の中に倒れる。

 苦悶の表情を見せながらゼノを睨み上げた。

 しかし、その姿はすぐに霧が隠してしまう。

 ハサミを拾う音と、かかとの高い靴音が逃げるように遠ざかっていくのが分かった。


「霧が邪魔だ!」


 風の腕輪を発動させて周囲に強風を走らせる。

 だが、すぐに霧は押し戻されてしまい、瞬く間に視界は白く霞んでしまう。


 これは普通の霧じゃない。


 相手の魔法を上回る威力でなければ霧は晴れない。

 やろうと思えばできる。


 けれど、その場合は建物ごと吹き飛んでしまうだろう。

 少女が立ち上がり、ゼノの後方へと移動する。

 互いに霧の向こうを警戒してごくりと喉をならし合う。


「ティア!」


 深く息を吸い、大きく叫ぶ。


「お前のやり方は間違っている! 願がけなんかしなくても、アルスさんなら自力で商会を大きくできる!」


 瞬時に目を瞑り、聴覚を研ぎ澄ませる。


「──当然。わたしもそう信じています」


 右のほうから声が返ってきた。


「これはただの保険です。どんなに優れた方だって足元をすくわれることはある。そのために、わたしはこの儀式を執り行うと決めました」


 今度は後方、それもかなり近い距離だ。


「なので──」


 来る……!


「ゼノさんには恨みはありませんが、ここで死んでもらいます!」


「下がっていろ!」


 叫んで、直後に重い衝撃が手のひらをすり抜け、腕まで走った。

 水平に構えた槍杖が刃先とぶつかり火花を散らす。


「────つッ」


 ゼノは足を踏み込み、ティアの凶器を押し返すべく全体重を槍杖へと乗せる。

 しかし、思いのほか強いティアの腕力に、次第に押されてしまい、ゼノは奥歯を噛みしめた。


 ──おかしい。


 訓練を積んだ相手なら分かる。

 だが、ティアはごくごく平凡な町娘だ。

 いくらなんでも男の自分が女の細腕に負けるはずがない。


 なにかがおかしい。


 そう思った次の瞬間に、ゼノの脇を何かが掠めた。

 木剣だ。ゼノの後方から木剣が飛び出してティアの横腹を突いたのだ。


「……ぐぁっ」


 鈍いうめきと共にティアが足場を崩す。

 ゼノがうしろへ首を巡らせると、凛とした佇まいで少女が剣を構えていた。


「ごめんね。でも、こうでもしないとその人が危なかったから」


 臆することなく木剣を突き出し、告げる少女の姿は勇ましかった。

 腹部を手にあて苦悶の表情を浮かべるティア。

 額には玉の汗。

 その部位は先刻、少女から回し蹴りを受けた箇所だった。

 ティアが息を切らし、床に顔を伏せた状態で力なく呟いた。


「……流石にふたりはっ、同時に相手するには厳しい、ですね……」


 さきほどまで彼女を守護していた水の盾はもう無い。

 魔法も使ってこない。

 おそらく霧を行使するのに相当な魔力を消費するからだろう。

 つまるところ、このあたりが彼女の限界だ。


 冷静に分析するゼノの隣で少女がティアの身を案じた。


「ティアさん、もうやめて! 魔法を使い過ぎればあなたの身体が──」


「うるさいっ!」


 ぴしゃりと鋭い一喝。

 突然のティアの怒号に少女の肩がびくりと跳ねた。


「貴女にっ、わたしの気持ちがわかるものですか……!」


 ティアがゆらりと立ちあがる。

 おぼつかない足取りで、なおも少女をねめつけて、彼女はぐちゃぐちゃに顔を歪めて叫んだ。


「毎日毎日あの人を見続けて、何ができるかって考えて! それでも自分には力が足りなくて! どうしようもできなくてっ、苦悩するあの人を見ているだけしかない! 何の役にも立てない、この悔しさがっ、貴女にわかるはずがない‼」


(……まずいな)


 さきほどよりも狂気が増している。

 ゼノは即座に少女を背中に隠すとティアの動きを観察した。

 しゃきんとハサミを鳴らし、ティアは地を蹴った。


「貴女はいつだって会長の邪魔をする……!」


 がんっと、槍杖の柄に凶器がぶつかった。

 ティアの猛攻はとまらない。

 連続する甲高い金属音と、乱れるように腕を振るう狂人が、血走る眼でゼノの背後に立つ獲物を狙う。


 なんとか槍杖を滑らせ、凶器の軌道をそらすも、あまりの迫力に再び押し負けそうになる。


「くっ──」


「貴女なんか嫌いです! いつも好き勝手に振る舞って! 能天気にニコニコ笑って! あの人の迷惑とか全然考えないでっ」


 泣きそうな、声だった。


「それでもあの人は、嬉しそうな顔をするんですっ。貴女の話だけは仕事の手をとめて、楽しそうに聞いて! それがどれだけ──」


 そうして彼女は呪いの言葉を吐いた。


「大嫌いです。貴女なんか死んでしまえばいいのにっ……!」


 殺意がこもる瞳。

 ティアがゼノの背後を射抜く。

 剝き出しの感情をぶつけられてひるんだのだろう。

 少女のひくりと息を呑む音が耳朶(じだ)を突いて、ゼノの意識が一瞬だけそれる。


 そこで、わずかな隙が生まれた。


「しま──」


「捕らえた!」


 ゼノの脇をすり抜けて、ティアは少女の細首を掴んだ。


「っ────」


「ティア!」


「……そう、ですよ。最初から! こうすればよかったんです! あなたさえいなくなればっ、あの人の悩みは消える! つらい顔を、見なくて済むっ!」


「駄目だ! 離せ!」


「っ……!」


 少女が喉からティアの手を外そうとして必死にもがく。

 ゼノはティアを腕ごと掴み、少女から引き離そうと力を入れる。

 だが、固い。

 やはりティアの碗の力は尋常じゃなくて、このままでは少女の首が折れてしまう。

 そう思ったとき、子犬がティアの足に噛みついた。

 わずかにティアの拘束が緩む。


「──っ」


「その手を離せ!」


 少女の首から手が外れたその瞬間に、ゼノはティアの腕をひっぱり後方へと投げた。

 そしてそのまま腰を落として、下から上に槍を振りあげ——


「うぁっ……⁉」


 ティアの脇下に槍が食い込ませた。

 そのまま身体ごと持ち上げ、左に投げる。

 ざざっと濡れた床を滑りティアは倒れるも、すぐに起き上がって恨みがましい目を向けると、再び霧の中へと姿を隠した。


「わたしはまだ、負けていない……!」


 怨嗟がこもる言葉を吐いて足音は遠ざかった。


「……埒が明かないな」


 不思議なほどにティアは頑丈だ。

 初手でゼノの蹴りをくらい、二手目で少女の回し蹴りと魔導銃。

 さらには何度も打撃を与えた。

 それでもなぜか倒れない。


 やはり昏倒するほどの一撃を与えないと厳しいか……。

 瞬時に策を張り巡らせて、ゼノはうしろに声を投げた。


「なあ、ティアの位置がわかるか」


「……え? あ、ううん。ごめん、わからない……」


「……?」


 掠れた声が気になって振り向くと、少女は唇を噛んでつらそうにしていた。


 それはきっといましがた向けられた殺意の瞳と言葉が原因だろう。


「──聞かなくていい」


「え?」


「他人を食いものにしてまで願いを叶えようだなんてまともな考えじゃない。そんな奴の言葉を聞く必要はないし、いちいち傷つく必要もない。だから……気にするな」


 泣いてほしくない。不思議とそう思った。

 ゼノが目を伏せて言うと、少女は涙をぬぐい、こくんと頷いた。


「とりあえず作戦を立てよう。はやくティアを始末しないと──」


 そこで、近づく靴音が聴こえた。

 こちらの声に反応して向かってきたのだろう。

 水面を弾く足音が徐々に接近してくる。


「いったん静かに」


 声の音量をさげて、ゼノは少女の腕を引いて音を出さないよう静かに移動する。

 その間、ゼノは再び目を閉じて耳を澄ませた。

 足音は聞こえる。

 この動き、ティアにこちらの動きは見えていないのだろう。


 数歩歩いて止まってまた数歩進む。

 まるで手探り状態。


 おそらくは倉庫内に霧が溜まりすぎて、思ったよりも動きが制限されているのだろう。

 自ら仕掛けておいて無様な話だ。

 ゼノがティアの音に集中していると、少女がぽつりとつぶやいた。


「……ティアさん、どうしてこんなことするんだろう」


 それは純粋な疑問のようだった。

 日頃の少女とティアの関係は知らないが、憂いを帯びた表情からは理解不能な行動なのかもしれない。


「ティアさんね。キミも見たなら分かると思うけど、異郷返りってだけで昔いろいろあったみたい。お仕事も色んな商会から断られて、唯一、雇ってくれたアルスに感謝してるんだって、よく話してたんだ」

 そうか。それで、あんなにアルスに固執するのか。


「ひどいよね。ティアさんの髪、すごく綺麗な海色なのに」


 むっとした声色で少女は話す。

 先刻嫌いだと言われ、首まで絞められたばかりだというのに相手のことを(おもんばか)るところは、ティアの言う通りお人よしなのかもしれない。


(……いや、それなりに親しくしていたんだろうな)


 ティアは心にふたをして少女と接していた。

 反面、少女はティアを姉のように慕っていたのかもしれない。現に少女の言葉からはティアに対する思慕の情が感じ取れた。


「ねえキミ、ここを出たらなにが食べたい?」


「え?」


 脈絡なく告げられて急になんの話かと思えば、少女は真剣な瞳でゼノを見てきた。


「わたし。港の食堂の、魚介のドリアが食べたい。だから絶対にここを出て、生きて帰るんだ。キミは?」


 少女なりの決意の表明だった。

 必ず生き延びて、明日を見る。

 そんな強いが込められた言葉につられてゼノも口を開く。


「リゾット。港の食堂で食ったやつ、オレンジが混ざっててうまかった」


「ほんとに⁉ それわたしが考案したメニューだよ。昔、あの食堂で働いてたんだ。気に入ってくれたなら嬉しいな」


「そうなんだ。──じゃあ、決まりだな」


「だね。ここを出たら一緒に食べに行こう。約束だよ!」


「ああ、約束だ」


 ゼノたちは互いに頷き合った。


「さて。とりあえず、ティアをどう倒すかだけど……」


「奇襲をかけてみる、とかはどうかな?」


「奇襲ね……。互いの位置と、ティアがいる場所さえ分かれば、挟み撃ちに出来ると思うけど……、いまティアがいる位置はわかるか?」


「ううん。これだけ霧が濃いとぜんぜん見えないし……」


「音は? 靴音が聴こえるだろ。あとは息を吐く音」


「息っ⁉ ……え、靴音なら少し聴こえるけど、さすがにどこの方角までかはちょっと……」


「そっか」


 なら、この霧をどうにかする方が先決か。


「ほかに策は……」


「あっ!」


 ゼノがぼやくと、少女がはっとした様子で子犬を高く持ち上げた。


「挟み撃ち! もしかしたら出来るかも!」


 少女の作戦を聞いて、ゼノは活路を見出した。

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