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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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82 扉を蹴破るのはけっこう痛い

「逃げても無駄ですよっ」


(くそっ!)


 戦いの火蓋が落とされ、ゼノは迫りくる水流に何度も飲まれそうになった。

 そのたびにすんでのところで転がり避けるも追撃がくる。

 大きな拳。

 今度はパーのかたちで覆いかぶさるように頭上から降ってきた。


「……っぐ!」


 とっさにうしろへ飛んで直撃を避けるが、靴の中に水が入る。

 動くたびにちゃぷちゃぷとして気持ち悪い。

 しかし、靴を脱いで逆さにする余裕などなく、そのままゼノはティアに飛びかかった。

 両腕に力をこめ、真上から槍杖を振り下ろす。


「無駄ですよ」


 ティアが頭上に手をかざす。彼女の前に水の盾が現れた。


「──なっ」


 硬い。水面を打つような衝撃音とともに、身体ごと空中へと弾き飛ばされた。

 衝撃で数歩よろめき、足に力をこめる。

 態勢を整え、今度は突きを試みるが結果は同じで刃が通らない。

 どうやら攻撃のほかに身を守る術も得意なようだ。


 繰り出される水の手をかわして、ティアの動きを観察する。

 こちらが動けば彼女は攻撃に回していた水を、自分の周囲に集めて盾とする。

 ゼノが離れれば攻撃の手に転じる。

 つまり、攻撃と防御は同時にはできないし、操れる水の量には限りがあるらしい。


(……なら)


 隙はある。反応できないほどに速く攻撃をあてることができれば──


「──っ!」


 右から水の拳がつっこんできた。

 真横からグーで殴られ、避ける間もなく壁際に置いてある大きなかめに激突する。

 派手な音とともに、天井からぱらぱらと塵が落ちて埃が舞う。

 咳き込みながら立ち上がると、手にぬるりとした感触が伝わってきた。


「油……?」


 鼻に手を近づけ匂いを嗅ぐと、古い油の香りがした。


「ああ、ほら。ここは昔、オリーブ園だったそうですから」


 ティアが攻撃を一時中断し、あたりをぐるりと見渡した。


「きのう、ご一緒したときにも話しましたが、この港は潰れた農場の上に作られました。ここはその古い跡地です。うわさによれば、農場の地下には造船工場があって、当時フィーティアによって壊滅された際に亡くなった方々の死霊がいまでも徘徊しているのだとか。それがこの場所です。おかげで誰も立ち入らないので儀式にもってこいの場所でしょう?」


 笑って話すと、彼女は自身の頭上に水を集中させ、今度は波のようにかたちを変えた。

 それが一気に押し寄せてくる。

 急いで左に飛んだが遅れたようだ。

 大波に引きこまれる形で床を滑り、目を開けた瞬間に身体が浮いた。


「──っ」


 掴まれた。

 大きな水の拳に身体を拘束される。

 ぎりぎりと締め上げられる感覚に、水なのに本物の手みたいだと変なところで感心した。


「無駄ですよ。そんな玩具では、わたしに傷ひとつつけらません」


 ティアがこつこつと靴を鳴らして、濡れた床を歩いてくる。


 ──風の腕輪で蹴散らすか?


 ゼノはすぐそばの魔法陣を見た。

 モニカがいる。

 強風を起こせば彼女の身に危険が及ぶ。


 かといって、水の魔法で対抗すればそれこそ本末転倒だ。

 こんな狭い空間で、天窓しかない構造で、下手をすれば溺死させてしまう。

 人質の存在が邪魔だ。

 刹那のあいだに次の手を逡巡していると、子犬がティアに飛びかかった。


「がうっ!」


「ひっ⁉」


 ティアが怯えた様子で後退する。

 左腕に右手を這わせ、ぎゅっと強く握る彼女の姿に思い出す。


 そうだ、ティアは犬が苦手だった。


 いつも子犬が近づくたびに、それとなく子犬から距離を取っていた。

 そして先刻──と言っても、日付が変わったから昨日の夕方になるが、彼女は子犬に左腕を噛まれたばかりだ。ならば、


「シュバルツァー! 吠えろっ」


「ぐるるるる! がうがうっ!」


「────!」


 子犬が激しく吠える。

 ティアは顔を青くして、ぴたりと視線をとめた。恐怖ゆえに子犬から目が離せないのだろう。


(思った通りだ!)


 人は、怖いものと遭遇した時、すぐに逃げることができるよう標的をよく観察するものだ。


 自分はそれをよく知っている。

 ゼノはティアの動きが止まった瞬間に、風の刃で水の拳を割って走った。


「ティア! 覚悟!」


 右手を振り上げる。

 ティアはとっさに腕を顔の前でクロスした。

 しかしそれよりも先に水の盾が邪魔をする。

 だが、そんなことは承知の上だ。

 ゼノは殴ると見せかけて、瞬時にしゃがんで彼女の足を蹴り払った。


「きゃっ」


 ティアが濡れた床の上に尻もちをつく。

 すぐに上体を起こして小さく舌打ちすると、こちらをきつく睨み上げた。


「ひどいですね、ゼノさん。女の子を蹴るなんて、どういう神経してるんですか?」


 どういう神経? 

 そんなことは決まっている。


「悪いな、ティア。戦いに男も女もない。殺されそうになったら全力で潰す。ただそれだけだ」


 見下ろすように言い放つと、ティアの肩がびくりと跳ねた。


 ──ああ、しまった。

 女と子供と老人には優しくしろ。そう養父アウルが言っていたから言いつけ通りに守っていたのだが……。


 まるで氷のように冷えていく心の熱にゼノは目を細める。

 自分ではない自分が顔を出してくる、そんな気がした。


「いまの、風の魔法ですね……、いえ魔導品ですか」


 警戒した面持ちでティアが言った。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに見下すような眼差しへと変わる。


「ユーハルドの魔導師団といえば、四十年前の大陸戦争時に最も恐れられた兵団だったと聞きます。それ以前にも妖精国出身の魔導師といえば、多くの国が大金を積んでも欲しがる存在だったと歴史書にも記されていました」


「……何が言いたい?」


「がっがりしました」


 吐き捨てるように言って、彼女がゆっくりと立ち上がる。


「その槍にいまの風。魔導品ばかりですね。会長が直々に依頼をするくらいだから、さぞや優秀な魔導師様だとばかり思っていましたが、見込み違い。ううん、騙していましたね。貴方は本物の魔導師なんかじゃない」


 怒りを湛えた目を向けてくる彼女に、何を勘違いしているのかと思う。

 ゼノは擦り寄る子犬の頭を撫でて、ティアに告げた。


「言っておくが、誰も魔導師だとは言っていない。そもそもこちらは城の文官で、軍事とは無縁なんだ。勝手に期待して、がっかりされたところで困るね」


「そうですか。──ならっ!」


 ティアがハサミを天井に向かってかざす。

 彼女の背後から黒い高波が現れた。

 天窓まで伸びた高い波。

 それが数本に枝分かれして、槍のように鋭くなった。


 目標を補足。そう告げるように、ふたつの水の槍が彼女の左右に並んでこちらを狙う。

 ゼノは近くに横たわるモニカを抱えるようにして、さっと左腕を突き出した。


 ──彼女が槍を放った瞬間に風で押し返す!


 瞬時に反撃を思いつくとティアが口端を吊り上げる。


「へぇ、この状況で人助けですか。ならせいぜいモニカちゃんを守って死んでくださいね? どうせ最後の儀式には、誰かの命が必要なのでっ!」


 ティアが右腕を振り下ろす、その瞬間だった。



「──見つけた!」



 ──ばんっ! と扉が弾けて吹っ飛んだ。

 前方に見える、廃倉庫のドア。

 それが大きく宙を舞って地面を滑る。

 入り口に、小柄な人影が差した。


 月の光を浴びて静かに輝く塵の中を、その人物は緩慢に歩いてやってくる。

 ティアがぴたりと動きを止めて背後を振り返る。

 そして、忌々しそうにその名を呼んだ。


「……クレハさん」


 栗毛の髪に、澄んだ秋桜の瞳。

 凛とした面差しの少女は木剣をこちらへまっすぐ向けて勇然と告げる。


「ここにい──、あ」


 突如、がばっとしゃがみこむ。


「……う、足が、じーんとしてきた……」


「「はい?」」


 誰もが固まる寒空の下、子犬だけが膝を抱えて苦悶する少女のそばへと駆け寄った。



 ◇◇◇



「落ちつかない様子だなー、茶でも淹れてやろうか?」


「…………」


 謎の来訪者にゼノがぽかんとしている頃、アルスとグレンはラパン商会の事務所でティアの素性を洗っていた。


「いつから知っていた」


「なにが?」


 手元の書類に目を落としながらアルスは尋ねた。


「ティアが髪切り事件の犯人だということだ」


「んー? いやー、だから知ったのはさっきだって」


「正直に話せ」


 アルスが睨みつければ、グレンは肩をすくめて答えた。


「事件が始まった頃、かな」


「つまり最初からか」


「いーや? 商都で『海霧の怪人』が話題になり始めたあたり。物騒だなーと思ってちょっと調べてみたら、ティアが妙な動きをしてたんで、張ってみたら当たりだった」


「……それを最初からという」


 再度向けられた目にグレンは苦笑すると、包帯の端をぱちんとハサミで切った。

 手当ては自分でできるというのでアルスは彼に薬を渡すだけに留めておいた。

 グレンがソファーに寝そべり、あくびを漏らす。


「そんなに怒るなよー。仕方ねぇだろ? 相手は魔法を使うんだ。流石に深追いはできねねぇよ」


「ならばなぜ俺に報告しない。もしくは自警団に伝えることくらいは出来ただろう?」


「自警団? はっ、無理無理。相手は異郷返りだぜ? その辺のゴロツキ相手ならともかく、本物の魔導師とあっちゃあ、返り討ちにされて終わりだよ」


「しかし……」


「諦めな。あいつはもう立派な罪人だ」


 アルスは押し黙る。

 イナキアには法がない。

 その代わりにギルド間に敷かれた掟があり、今回の件、捕まればティアは間違いなく掟に触れ、二度とイナキアの地を踏むことはできなくなるだろう。

 国外追放。

 それがわかっているからこそアルスは唇を噛んだ。


 ──なぜ、こんなことをしでかしたんだ。


 いつも自分やグレンを支えてくれて、一番にこの店のことを考えてだいじにしてくれる優しい子だったのに。

 それがどうして……。

 アルスは表情を曇らせると、下を向いて眉間をつねった。


「……では、質問を変える。彼女が犯人だとなぜ黙っていた?」


「んー、クレハに頼まれたから?」


「クレハだと?」


 いきなり出された幼なじみの名前にアルスは顔を上げた。

 八歳は離れている。

 けれど、彼女のことは自分が子供の頃から知っているし、大恩ある人の大切な孫娘だ。

 まだ幼い彼女の遊び相手としてよく一緒にいた。

 だからその名を聞いてアルスは内心焦った。


 ──まさか、また危ない目に首を突っ込んでいないよな?


 しかしアルスの予感は的中し、グレンの口からあっさりと真実がばらされる。


「そ、あいつなりに独自で犯人を追ってたみたいでさ。俺が静観している間にティアと接触して、殺されそうになってやんの」


「何だと⁉」


 アルスは椅子から立ちあがる。

 それこそ弾丸のごとく、弾けるように。

 おかげでひらりと書類が舞って、飛んできた紙をグレンが掴んだ。


「おーおー、そんなに驚くなよー。ほら書類、散ってんぞ?」


「いつだ!」


「坊主たちがうちに来た日。髪切り事件の現場に駆けつけたクレハが逃走するティアを追って、ご丁寧に投降するよう説得したが失敗。案の定、殺されそうになったところに坊主が来て、クレハが逆に逃走。──なかなかに面白い光景だったぜ? やっぱりうちの義妹は馬鹿で可愛いよなぁ」


 はははと、グレンが笑うとアルスは机の上に拳を叩きつけた。


「あの馬鹿は、何を考えている……!」


 反動で、今度は書類の山が床に滑り落ちた。

 グレンはそれを無言で拾って机の上に戻してやると、苦しげな表情を浮かべるアルスを一瞥して、さらに強烈な一手を放った。


「ちなみに今も廃倉庫いると思うぜ?」


 途端、アルスの顔から色が無くなる。

 しかし、すぐさま外套を荒々しく掴み、扉に手をかけると、


「まーまー、ひとまず落ちつけって。坊主たちもいるし、まー、何とかなるだろ」


「馬鹿を言うな! すぐに助けに──」


「ダメだって。言ったろ? これはクレハの頼みだって。あいつはお前にティアが捕まるところなんざ見せたくないんだよ。だからほれ、いまは待機だ、待機」


 無理やりアルスをソファーに座らせ、グレンはニカッと笑った。


「な? たまには俺らの可愛い妹分を信じてやろうぜ?」

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