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ゼノの追想譚 かつて不死蝶の魔導師は最強だった  作者: 遠野イナバ
第ニ章/後『海霧の怪人編』

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81 海の色をした娘

 時間は少し戻り、地下通路にて。


「こっちの道であってるかな……」


 かつかつと響く靴音と、とたとたと軽い足音。

 灰色の壁がつづく廊下を、ゼノと子犬は走っていた。


「わんっ!」


「こら、静かに」


 元気な子犬をたしなめ、ゼノは仄暗い通路の先をじっと見つめた。


(気配はこの先から感じるけど……)


 なんとなくあっちからねっとりとしたものを感じる。

 そんな曖昧な感覚を頼りに走ること数十分。

 ある扉の前にたどり着いた。


 いっけんごく普通の鉄の扉だ。

 取手の部分が多少錆びついているが、文句を言っている場合じゃない。

 ゼノは躊躇いなく扉に手をかけ、ゆっくりと引いた。


 きぃっと重い戸を開く。一瞬で禍々しい気が濃くなった。


「ここは……」


 さっきとは違う廃倉庫だ。

 四方の壁に窓が無い代わりに、天井にいくつかの窓がついている。


 そこから覗く満月が、地下から地上に出たのだと知らせてくれた。


(……っ!)


 倉庫の奥。

 影が差す場所に、栗色の髪の女が立っている。

 顔は見えない。

 長い髪で横顔が隠れている。


 女はこちらには気づかずに、両手を握り締め、祈るように何かを唱えていた。


 床に描かれた白い魔法陣。

 その上には供物だろう、山積みの髪と、横たわるモニカがいた。


(呪術……か)


 贄を捧げて悪しきものを呼び出し、力を借り受ける。

 禁忌とされている古い魔法だ。


 本当にリィグの言っていた通りになってしまった。

 ゼノは拳を握り、その横顔に呼びかけた。


「ティア」


 ほんの少しの間、一拍置いて女はゆっくりとこちらに身体を向けた。

 その顔は間違いない。

 この数日間、町の案内をしてくれたアルスの秘書だ。


 そう、髪切り魔に襲われ涙を流していた──ティアだった。


「どうして、こんな」


「ああ、ゼノさん。ここまで来ちゃいましたか」


 ティアがにこりと笑う。


「……っ」


 それはこの数日で何度も見てきた優しい笑顔だった。

 わずかに不気味さが混じっているのはきっとこんな状況だからだろう。

 下を向いたゼノを子犬が心配そうに見上げた。


「うーん。グレンさんに仮面を取られてしまったのが失敗でしたか」


 ティアがウィッグを外した。

 色素の薄い金の髪が現れる。

 長さは肩の上。

 本当に彼女が犯人だったのかとゼノは目を見開いた。


「どうしてだ、ティア。お前が犯人だなんて! それにこんな……呪術の真似事なんて……」


「呪術? 違いますよ。これは願いを叶える儀式です」


「願いを叶える?」


「ええ。わたしの願いはラパン商会の繁栄です。商会の明るい未来。それを祈っていました。精なる者たちよ、どうか会長を祝福くださいと」


「祝福ってこれは……」


 どう見ても呪いの儀式だ。

 供物を捧げ、相手の不幸を祈る、古いサクラナ式のまじない。


(──ってあれ? なんでオレ、そんなこと知って……)


 読めない文字と変な模様の魔法陣に目を向ける。


 ゼノは一瞬だけ疑問に思ったが、すぐにティアへと意識を戻した。


「呪い……いや、願いを叶えるために大量の髪を集めていたってことか?」


「そうなりますね」


「供物にするためか?」


「ええ。ご覧の通りです」


「なら、モニカさんは? なぜ髪じゃなくて、彼女自身をさらった?」


「最後の贄にするためです」


「…………」


「ふふ。軽蔑、しましたか?」


 小首をかしげて聞いてくる彼女に、いや……と答えて質問を重ねた。


「なら、あの時の髪は? オレが初めてティアに会った時、まわりには切られた髪が散らばっていた。あれはお前の髪じゃないのか?」


 金色(こんじき)の長い髪。

 輝く金糸の中にしゃがみこんで泣く娘。

 痛々しいその姿がいまでも目に焼き付いている。


 アルスはもともとティアの髪は短かったと言っていたが、あれが演技だったなんてとても思えない。

 たとえそれが、馬鹿な感傷だと分かっていても。


 ゼノは一縷の願いをこめて、ティアの髪を見た。

 そして気づく。


「あれ……?」


 髪の色が違う……?

 ぎょっと目を剥くゼノを見て、ティアがくすりと笑った。


「気がつきましたか? そうですよ。あのときまわりに落ちていた髪、あれは他の方からいただいたものですから」


「いや、でも……淡い金髪で……。オレ以外にもリィグやミツバだって見て……違う。そうか、霧……」


 ──霧で白っぽい金に見えていたのか。


 ゼノが呟くと、ティアは当たりですと答えた。


「海霧の怪人。深い霧の中に現れ、その姿は見えない。ゼノさんたちとお会いした時も、霧がかかっていたでしょう? 見ての通りわたしの髪は淡い金色です。あの日、髪をいただいた方は輝くような蜂蜜色の髪でした。それをまわりにばらまき難を逃れた。ううん、わざとそうしました」


「なんのために……」


「なんのため? 決まっているじゃないですか。わたしに犯人の疑いがかからないようにするためですよ」


「それなら普通に逃げればよかっただろ。霧に紛れて逃走すれば疑いも何もない」


「うーん、そうですねぇ。あの日はまぁ……ちょっと困った方にお会いしまして。逃げるくらいならいっそ、そうしたほうがいいかなって思って」


 ティアが困ったように微笑む。

 しかし、それ以上は話すつもりが無いのか、唇に人差し指を押しつけ、薄く笑うと変な質問を投げてきた。


「ねぇ、ゼノさん。ゼノさんはこの髪を見てどう思いますか?」


「髪……?」


 自身の頭髪を触り、ティアが頷く。


 なぜいまそんな質問を?

 急に変わった話題にゼノは首をかしげるも、つい答えてしまった。

 それが時間稼ぎだとは気づかずに。


「綺麗な髪だと思うけど。……月の光みたいで」


「月ですか。それは嬉しいですね」


「……?」


 今度は悲しそうに笑った。


「ゼノさんは異郷返りを知っていますか?」


「もちろん」


 言うまでもなく誰もが知っている大陸の常識だ。


「実はわたし、異郷返りなんですよ」


「──え?」


「ふふ。驚かれましたか? うちの家系には妖精が混じっているとかで、たまに変わった髪の色を持って生まれてくる子供がいるそうです。それがわたしです。こう見えて、魔導品に頼らなくても魔法が使えるんですよ?」


 ころころと笑う彼女を見てゼノは思う。


 どう見ても、よくみる金髪だけれど。


 そんな疑問が顔に出たのだろう。

 ティアは微笑むと、かつんかつんと靴を鳴らしながら、月の光が当たる場所まで歩いてきた。

 そして──


「──っ、色が変わった……⁉」


 月のように淡い金髪から、青髪へ。

 まるでこの港から見える海と同じ色に変化した。


 あっけに取られてゼノがぽかんと口を開けると、ティアはくすりと笑って蒼い髪を撫でた。


「そうです。この髪は月の光に当たると青くなるんですよ。変な髪でしょう?」 


(光に当たると色が変わる……?)


 それはフィーも同じだ。

 陽の光に当たると、オーロラのような輝きをみせる銀色の髪。

 しかしあれは、あくまで反射によるもので、元の色が変わるわけではないから銀髪のままだ。


 だがティアの場合は違う。

 完全に金から青へと変わった。

 それも、月光が当たっていない影の部分は金色のまま。


 どういう仕組みなんだろう?

 ゼノが不思議に思っていると、ティアは話をつづけた。


「わたし、この髪のせいで、いつも嫌な思いばかりしていました。異人ことびと狩りには目をつけられるし、家族からは気味が悪いと言われて友達にはからかわれました。そこにいるモニカちゃんもそう。以前わたしの髪を見て、月蒼茸のようだと笑いました」


 月蒼茸。

 夜になると青白く光るキノコだったか。


「……それで、モニカさんをここへ?」


「まあ、それもありますが、単純に彼女が邪魔だからですかね」


 ティアは床に転がるモニカを一瞥する。


「この人、毎日のように会長に会いにくるんですよ。いい加減迷惑していますし、贄にしてしまえば二度と会長に近づくことが出来なくなる。どうせ儀式の仕上げには誰かの命が必要でしたから、会長のことが大好きな彼女にはうってつけの役目だと思って」


 だって、ラパン商会の繁栄は会長の未来のためですから。


 そう付け足して、ティアは腰を屈めるとモニカの髪を掴んで勢いよく引っ張った。

 しまいには、「良かったね、モニカちゃん。会長の役に立てるね」と戯言を吐いて笑った。


「…………」


 狂っている。

 彼女がアルスを気にかけていることは知っていた。


 初めは単に、一緒に働く仲間だからだろうと思っていた。

 だけどリィグが言っていた。

 あれはアルスのことが好きだからだと。


 その話を聞いてからは、なんとなくだけれど、ティアのアルスに対する隠された想いが垣間見えたような気がした。


 まさかそれが、ここまで可笑しくなるほどの強い想いだったとは──。


「それじゃあ、そろそろ始めましょうか」


 ひとしきりモニカに話しかけたあと、彼女はスカートの下からハサミを取り出し、右手に握った。

 しゃきんしゃきんと刃を鳴らして、動作を確認しているようだ。


「布切り用のハサミか」


「ええ、たちきりばさみです。祖母が布屋なので、これがいちばんしっくりくるんです」


 しゃきん。

 再び音が響くと、彼女の両脇から黒い水の柱が現れた。


 くねくねと二対が絡み合うように重なって、一本の大きな腕へと変化する。

 ピース。

 ハサミだけに洒落た冗談を仕掛けてくるが、正直まったく笑えない状況だ。

 それに──


「……祈文じゅもんなしで魔法を?」


 ティアはいま、なにも唱えずに魔法を発動させた。

 ゼノが驚いて目を見開くと、彼女は嬉しそうに頷いた。


「呪文とは精なるものへの祈り。ですが、別に唱えずとも使うことはできる。──まさか、知らないんですか?」


「……聞いたことはある、けど」


 それは、魔導師のあいだで最も忌み嫌われる、作法ルール破りだ。


 かの歴史上最強と謳われる、不死蝶の魔導師がそうだった。

 ユーハルドの初代王リーゼに仕えたその魔導師は、無詠唱で魔法を行使したと言い伝えられている。

 戦の絶えなかった古い時代。

 実戦において詠唱を省く手法は最も効率的だったという。

 しかし、敵味方問わず疎まれたその戦法は、現代においてもタブー視されている。


 だからふつうは詠唱する。

 けれどティアは呪文それを省いた。


「ふふふ。こちらほうが効率的ですので。──まあ、魔導品を使ってでしか魔法を行使できないあなたにはわからないかもしれませんが」


 嘲笑して煽ってくるティアに、ゼノは羽ペン(まどうひん)をひるがえして槍杖(やり)へと変えた。


 自由自在に形を変える水塊。

 まるで遊んでいるかのように動きを変化させているそれは、純粋なる魔法だ。


 魔導品による魔法ならば動きはもっと単調になるし、どれも刻印された命令式によるものだから、誰にでも扱える代わりに用途は限定的となる。


 ここまで自由に扱えるとなれば、それは決まって異郷の血が絡んでくる。

 つまり、彼女の話は真実なのだろう。


(まあ、髪を見れば一目瞭然か……)


 一筋の汗が背筋を流れる。ゼノがごくりと喉を鳴らすとふとティアが上を見上げた。


「ああ、やっと時間のようですね」


(時間……?)


 さっと上を見る。

 彼女の視線の先は天窓、いや月か。淡い色の満月を隠すように黒い雲が集まってきた。

 うっとりとした表情でティアがつぶやく。


「長かった。毎日髪を捧げて今日で百日目。そして、日付が変わるこの瞬間、ようやく願いが叶う」


(──ああ、そうか)


 今日は十月三十一日。


 正確には一日に日付が変わった。

 一年で数度ある、あの世とこの世の境が曖昧となる日。

 呪いを発動するのに持って来いの日というわけだ。


 自分はこのタイミングまで彼女の時間稼ぎに乗せられていたのか。

 いまさら気づいたところで遅いと言わんばかりにティアがゼノにハサミを向けた。


「貴方に恨みはありませんが、見られたからには仕方ありません。モニカちゃんと一緒に贄になってください!」


 力強い叫びとともに荒れ狂う水流が襲いかかってきた。

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